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大自然の中で鷹と共に生きる

鷹匠・松原英俊氏とは

最初に講師のひとり、松原英俊氏について紹介したい。

松原英俊氏は、1950年、青森市に生まれた。幼い頃から、動物と親しみながら育ったという。1958年、慶応大学に入学し、東京での生活が始まったが、その間も、暇さえあれば山登りに行き、自然を何よりも愛した。大学生活が1年、2年とたち、進路を考えなくてはならない時期にさしかかる。松原氏は、サラリーマンになって、一生ネクタイを締めて生活していくのは絶対に嫌だと考えていた。そんな時、松原氏の脳裏に浮かんだのが、幼い頃に見た、鷹匠・沓沢朝次氏を追ったドキュメンタリー、「老人と鷹」だった。鷹と共に生きる彼の姿は、自然をこよなく愛する松原氏のまさに理想であった。松原氏は、鷹匠になる決意を固め、卒論では、韓国における鷹匠の歴史をテーマとした。そして、卒業と共に、松原氏は山形県真室川町に住む沓沢氏の門をたたいた。

どうせ使い物にならないと入門を断り続ける沓沢氏の元に、松原氏は足繁く通い続け、しまいには沓沢氏が折れた。松原氏の情熱は、それまで門をたたいた誰よりも激しかった。松原氏は、沓沢氏の元に住み込み、晴れて鷹匠への第一歩を踏み出した。しかし、沓沢氏の元での修行は松原氏にとって満足のいくものではなかった。入門から1年足らずで、松原氏は独り立ちして、鷹匠を目指すことに決める。山小屋に移り住み、鷹とふたりだけの訓練が始まった。基本的なことは、沓沢氏から学んでいたので、後はひたすら鷹を自在に操る訓練をするのみだった。旅館などで、バイトをして生活費を稼ぎながら、訓練に打ち込んだ。むろん、生き物が相手のこと、毎日が手探りだった。鷹を逃がしてしまうなど、失敗もたくさんあった。そして、鷹匠を1980年冬、愛鷹・加無号が初めての獲物を捕らえた。

もちろん、松原氏は今も鷹匠生活を続けている。昔と違うのは、奥様と息子さんが一緒だということである。現在、松原氏はクマタカ・イヌワシを使って実猟のできるただ一人の鷹匠となっている。山登りも続け、1995年には、当時未登頂であった中国・崑崙山脈・ギリシク・タークの初登頂に成功した。

実際に、取材でお会いした松原氏は、気難しいところなど全く無く、とても穏やかで、優しい方だった。現在は、月山などの登山ガイドや、鷹の研究への協力などのお仕事もされている。今、熱中しているのは、沖縄なのだという。年に1回、息子さんと一緒に行って、銛などを使って魚を捕らえて、まさにサバイバルな生活を送るのがとても楽しみなのだそうだ。一度入ったら、とことんのタイプなのである。

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文責:福島 万葉

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