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サイボーグ医療と生命倫理

生命倫理タイプI

 サイボーグ医療は生命倫理にどのような対応を要求しているだろうか。求められている対応は二種類ある。それをここではそれぞれ生命倫理タイプIとタイプIIと呼び、順に見ることにする。

たとえば、医学研究者が薬になりそうな新物質を発見したとしよう。そうした場合、いくら研究者が特効薬だと確信しても、その物質をいきなり患者に投与することは許されない。一般的に、副作用なくして薬効なしといわれる。薬にはすべて副作用がある。ましてや新物質となると、実際に投与する前に、投与してもかまわないかどうか第三者が慎重にチェックしなければならない。チェックされるのは、新療法を実施する科学的、倫理的な妥当性である。

当然のことながら、新たな療法は科学的に相当の理論的裏づけと一定の安全性が確保されているものでなければならない。また、予想される利益が危険性を上回り、適切な能力をもつ者によって実施されることも必要である。

新療法はそうした科学的妥当性を満たした上で、さらに倫理的な条件もクリアしなければならない。まったく新しい薬剤や技術が医療として用いられる時、それなりの妥当性があるにしても、最初は人体実験として始まらざるを得ない。患者=被験者はその点を十分に理解し、危険性も納得した上で新療法を受ける必要がある。倫理的条件の中心はインフォームド・コンセントを軸にした人権の確保にある。

現在では、実験的医療は一般的にこうした事前審査体制を経て、実施されることになっている。この科学的、倫理的なチェック体制は、過去の苦い経験から生まれたものである。どのようにすれば実験研究の逸脱を防ぎ、医療技術を適切な形で発展させられるのか。その点を考えてきたのが、生命倫理だともいえる。その議論のなかで、チェックされるべき項目についても吟味が重ねられてきた。

生命倫理タイプIと呼ぶのは、そうして作り上げられてきた医学研究倫理のことである。現在の生命倫理に積極的意義や貢献が認められるとすれば、それはこのタイプIの議論に求められるべきだろう。たしかに、そこでの議論やその結果生み出された体制は完璧ではない。しかし、さまざまな欠点をもつにしても、実験研究の事前審査体制がないよりははるかにましである。新しい医療技術は、科学的倫理的妥当性が確認されてからでなくては、人間に適用されてはならない。サイボーグ技術も医療として応用される場合には、当然、同じふるいにかけられるべきである。

そうした生命倫理タイプIの議論は、どのような特徴をもつのか。タイプIは医療技術や実験研究に対して科学的、倫理的に一定の条件を課そうとする。その意味では、それは「規制の倫理」と呼べる。もともとの目的が実験研究の逸脱防止にあった以上、この特徴は当然だともいえる。

ただし、規制の倫理とはいっても、生命倫理タイプIは新しい医療技術に否定的であるわけではない。そこで課される規制は技術にストップをかけるためのものではない。規制は、先端医療が社会的に受容される条件を明示する意味をもってきた。その規制の倫理は、むしろ、新しい医療の発展を促す「促進の倫理」である。生命倫理タイプIは新しい医療技術を社会的に受容させるための装置だった。この装置に支えられて、医療は進歩する。

ともかく、生命倫理は、サイボーグ技術に対しても、まずタイプIの議論をもって対応するだろう。そこでも、従来からのチェック体制はそのまま適用できる。何らかのサイボーグ技術が治療となりうる科学的な有効性をもち、その利用に患者が同意しているのであれば、利用を妨げる理由はない。ここで「治療となりうる」というのは、技術使用の目的が失われたり、劣ったりした機能の回復に限定されているという意味である。サイボーグ技術が医療として目指すのは治療であって、改良や強化であってはならない。

こうした限定は生命倫理がすでに他の技術や薬剤の使用に関して見出してきた条件である。それを、生命倫理はサイボーグ技術に対しても等しく課すはずである。開発された個々の技術は医療としての条件を満たし、上に述べたような意味で科学的、倫理的に妥当であれば、使用できる。こうして実用化されるのであれば、個々の技術が問題を生じる可能性はとりあえずは小さいだろう。むしろ、パーキンソン病に対するDBS手術のように、患者にとって福音となることが期待される。

このように、生命倫理はまず従来の議論の蓄積をそのまま生かしてサイボーグ技術に対応するはずである。そこで求められるのは個々の技術に対する慎重な吟味である。その吟味を通して、生命倫理タイプIはサイボーグ医療を一歩一歩実用化させ、社会的な受容を促す形で働いていくだろう。しかし、生命倫理タイプIでサイボーグ技術の提起する問題すべてに対応できるかといえば、かなり疑わしい。サイボーグ医療は生命倫理にタイプIとは異なる対応を要求しているように思われる。

生命倫理タイプIの議論は現に具体的に実現可能な個々の技術に向けられる。今この技術をこの患者に使うことが科学的、倫理的に妥当かどうか、それが問題である。そして、眼前のこの技術に関して、医療応用の諾否を決しなければならない。考察は個別的、具体的、直接的である特徴をもつ。いわば現時点での小さな問いにキチンとした答えを出そうとするのが、生命倫理タイプIである。

しかし、サイボーグ医療が提起している問題はそうした小さな問いの集積に解消されるものではない。ここで最初にあげた幾つかの素朴な疑問も、タイプIの問題ではないはずである。こうして別種の生命倫理、タイプIIが要請されることになる。

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