Q. S.A.C.で、電脳空間のチャットが描写されている。 そこでは、引用が多用されたりはしていないが、どうしてか? 簡単に言えば掲示板。 今の掲示板と違うところは、 その様子が3D化されていたり、 顔が“見えたり”する。(実際の顔かどうかは分からない) 2ch的なものが、Stand AloneがComplexになるキッカケになったりするのかもしれない。 (匿名の総体が一つの意識を持つ、ように解釈できる。) 瀬名氏が、似たような授業をしたことがある。 授業に対する反応を、リアルタイムでメールなどで収集した。 ここに出る内容は、解説者の主観に基づいて書いているので 誤りがある可能性があります(・_・) Q. ゴーストって?実は実体がなくて、人がそう思っているだけ─宗教的なものなのかな? ライルの考えでは、ほんとはゴーストがないのに、あってほしいと 心理的に願うその心が、ゴーストを生んでいる。 人間存在が電子空間上のパルスに還元されないための、堰のようなもの。 「押井守論 mement mori」 i-mode = I = 一人称 aibo = 相棒 = 二人称 IT(information technology) = it = 三人称 共感(sympathy)と感情移入(emphathy)は違う。 共感が二人称に対するが、 感情移入は、三人称に対するもの。 Q. 記憶が、ゴーストを保つ大事な要件とされていた。 記憶喪失の人にチューリングテストをしたら、 どんな反応を示していたのだろうか? 記憶は人間らしさの要になるのだろうか。 (解説者注: 押井守監督は、 記憶それ自体よりも、 記憶が実際の事実とどう違うか… 人間が記憶をどう呼び起こすかという そのプロセスを、人間らしさ、と捉えていた ように思います。cf. プレミアム10対談) 記憶の要素が一緒で、 それをどう関連付けているか、というのまで一緒だったら その人の、個を証明するものと言えるかも知れない。 記憶喪失の人がStand Aloneになったら、どうなるんだろうか。 これは、クリティカルな問題になるかもしれない。 柳田邦夫の弟子たちの手記では、 柳田の記憶のトリガーは出身地だったようである。 記憶が中身だとすると、 それを入れてある引き出しが、その人らしさだったりするのかもしれない。 あるいは、出身地のことを言っている、という 印象は、弟子たち自身のバイアスかもしれない。 bQ.自分が考えていることは、 b すべて脳内物質のやり取りに帰着できる、という論があり、 b 自身はそのような印象を持っている ベンジャミン・リベット “意識する”前に電気信号が伝わっている、という論。 ボタンを押そう、と意識した瞬間と 押そうという電気信号が脳から出た瞬間の 前後関係は、 「電気信号→意識」という順番である。 (300msの時差) 我々の意識は実は電気信号に操られているのでは? (90年代の議論) 自由意志はそんな信号に還元されないよ、 という「ゴースト」の議論がなされたことがあった。 ・当企画の公式Webサイトで、今回の対談の模様を改めてお伝えします。 http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/project/gis/ ・アンケートは出口の受付にお出しください。 本日はありがとうございました。