SCImates α2は機能を停止しています。

目次へ戻る

極限を旅して

南極・北極

野村

先生は、2000年の1、2月に南極へ、そして同じ年9月には北極にも行かれていますね。2000年に南極・北極に行かれたのは、どういったきっかけがあるんですか。

長沼

僕は深海、地底、砂漠、南極って、色々順番を追ってやってきた。僕はあんまり人脈がない人間なので、いつも表面玄関をノックする。国立極地研究所のときもそうでした。玄関をノックして、窓口の人がいなくて、直接先生の部屋に行ったら、たまたまイタリアと電話中だったの。で、イタリアのほうから、日本人一人出せっていうとこに僕がいったので、たまたま(笑)。

ただ、南極っていうのが、日本の冬にいくわけ。簡単にいうと、昭和基地でいえば、11月から3月。僕の場合は、1月2月だった。そのときって大学が一番忙しい。そのときに、大学をやめることは、自殺行為にひとしい。くびになってもおかしくない。でも、そのときに思ったことは、くびになってもいい。このチャンスを逃したらいかん。 それで、今度帰ってきたら、5月くらいに、「今度は北極にいくんだけど。」って言われたから、これはいくしかない。

一年の間に両極にいった、2000年という記念すべき年。こんなこともうない。

野村

南極では、いろんな分野の研究者は全く違う研究を各自が別々にしてるんですか?

長沼

それはない。やっぱり、移動手段の問題がある。ヘリをつかったり、あと、危ないから、一人では行動しないでチームを組む。やはり似たような研究をしてる人がチームを組む。

野村

全体で何人くらいですか。

長沼

イタリア基地に、100人前後かな。

好塩菌 ハロモナス

野村

南極と北極に行かれたのは、ハロモナスという微生物を調べるためですか。

長沼

南極っていうのは、しょっぱいとこなの。これは行く前から分かってたんで、探そうと思った。我々が調査してるのは、氷のない、岩盤むきだしの、氷河が後退したところ。一万年前に氷河が後退して、むきだしの台地になってるところ。ここはたいてい大陸のはしっこだから、海に面してるよね。かつての海がどんどん取り込まれて、しょっぱいんだよ。

北極で悩んだのは、船の上で調査するんだけど、微生物の培養をするものがなかった。それで船のコックにいって、塩をもらって、好塩菌を探そうかなと思ったら、生えてきたのが、なんと南極にいるのと同じだった。でもいてもいいよなぁ。 大西洋の海底火山でも見つかってるし、なんだ、どこにもいるじゃん、と。

野村

ハロモナスに限らず?

長沼

極限微生物を研究する多くの人は温度にのっかってる。そういうのは設備がいるの。机の上で培養できる装置とかね。安全なね。残念ながら、僕はそういった機械はなかったので、じゃあ僕みたいなお金のない人でもできるのっていったら、お塩ね。 それと、phはコントロールしにくい。やってみると意外と難しいんだ。お塩は簡単でしょ。安いし。で、塩にはまったわけですよ。

そういったなんか変な理由もあったんだけども、やってみると意外と面白い。塩っていうとそういった概念しかないんだけども、高いイオン強度っていうふうに話を進めると、色々見えてくる。

高いイオン強度っていうと、例えば鍾乳洞がちょうどできてるところ。石灰岩の炭酸イオンとかカルシウム濃度とかが非常に高濃度になってる。ただ鍾乳洞は日本では天然記念物になってるから、研究できない。 それで、海底を調べる。海底のメタンがわいてるところでも、必ずといっていいほど石灰岩がうわーっと広がってるのね。石灰岩も炭酸イオンとカルシウムイオンがある点では鍾乳洞と基本的には同じで、そういった非常にイオン強度がマイクロスケールでローカルにつかまるところがあるわけ。そっから石灰岩をとってきて、微生物をとると、なんだこれは、高イオン強度耐性菌かみたいな。南極にもいるしさ。

固有種か。コスモポリタンか。

野村

今まで砂漠、深海、地底、極地というふうにそれぞれ単体で研究されていたものを、極限環境という大きなくくりで見ると、どういうものが見えてきますか。

長沼

これは難しい。今、空間的な話をしたんだけども、順番を逆にいわせてもらうと、まず50年に一回のIPYにおいて、微生物は今回初めて調査の対象になったのね。初めてのものっていうのは、地球環境、インターネット。

もう一個は、微生物。50年前は微生物のことを知らない。今回は初めて分かる。たぶん50年後もう一回やるのね。これからの50年間って、ものすごく地球環境変わるはずなのよ。だから50年後の地球環境を変化させないためには、今をきちんとおさえなきゃいけない。だからそういった意味では南北両極っていうのは、地球環境変動に関しては一番敏感な場所なので、今の状況をきちんとおさえるのがとても大事。そして50年後にもう一回やりましょう。たぶん50年後、もっと進んだ方法があるんだけれども、それにちゃんと負けないくらいのいいデータを出しましょうっていうのが重要なこと。

もう一個は、深海、地底、あるいは砂漠と比べるっていう話ね。微生物の分布には、一つ、極限環境に適応して進化したという問題がある。適応進化っていうんだけども、これがほんとかなっていうのはよくわかってない。固有種って言う言葉知ってるよね。ある特定の環境に固有の種がいると。例えば南極だったら南極に非常に特化した生き物がいて、それがその近縁種に比べて、いろんな意味で特化してる。北極も同じように寒いんだけれども、地球の反対側だから、たぶん遺伝的な交流がないから、それぞれお互いに進化したに違いない。それでもやっぱり寒さに対する適応は同じだと。寒さへの適応進化っていうのが、一つじゃなくていろんな方向におきえることの証明になりえるのね。

っていうのが、理論的にはあるんだが、本当にそうかっていわれると、うーん。南極と北極に別れて、ばらばらで、それ以後遺伝の交流がないなんてことは僕たちは今考えられない。生物のみならず、微生物も意外なほど、幅広にとびまわってる。動き回ってる。風にのって。あるいは海流にのって。

固有種の反対はコスモポリタンっていって、固有種という概念と、コスモポリタンっていう概念と、二つあるんだけども、これは悩ましい、難しい問題ですね。研究が進んでくると、固有種だっていうのがでてくる。あ、こいつだと思ってると、数年後に同じものが別の場所にでてくる。結局、固有種ってなんだろう。ほんとにこんなのいるのかなぁっていうのが僕の意見。

人間という道楽

野村

人間という知的生命体についてどう考えられますか。宇宙において特異な存在なのでしょうか。

長沼

いろんな苛酷な環境で生き延びられるものの中に、まず人間みたいなのはいないと思うんだよね。人間っていうのは基本的には軟弱な生き物で、あとはテクノロジーによって住める範囲を広げてるんだよね。だから場合によっては、人間っていうのは非常に弱い生き物。逆に生物学的にに強い生き物っていうのは、下等ないきもの。 そういったものは、意外なほど動き回る。地球の上であれ、地球の外であれ。

地球に隕石が落ちて、恐竜が死んだんだよね。そのときに、ものすごい物質を宇宙空間にばらまいてる。地球の外から物質が入ってくるだけじゃなく、地球から外に飛んでいくことも一杯あるのね。

たぶんそういうことは宇宙ではよくある。結構生き物は、意外なほど動き回ってるに違いない。その中でいきのびるものは、強いもの、かわったものであろう。

あと、人間みたいないきもの、そういった方向に本当に進化するためには、遊びの部分が必要なんだよね。力ありあまるエネルギーっていうか。生きるのに最低限のエネルギーではまだだめで、代謝的に贅沢になんないといけない。進化なんてある意味遊び、道楽に近いんだよ。道楽にまわせるエネルギーをどんどん作れるようなシステム、それは光合成それからそれに寄生するような生き方しかないので。あと酸素呼吸か。ただ、酸素呼吸もある意味光合成に依存してるからね。光合成の誕生と、そのおまけであるところの酸素呼吸が、爆発的な進化の道楽を可能にした。我々はその道楽の端っこにいる。

そういった意味ではこうやって人間みたいに道楽をする生き物、こっち側に進化してきた生き物っていうのは、あんまり多くの星にはいないと思いますよ。 それはある意味地球という恵まれた場所にしかいないだろうな。 ただ、バクテリアの、アーキアと呼ばれているものは、宇宙的にもっと広がっているだろう。

感ずる対象としての生命

野村

先生は極地に色々行かれていますが、生命というものをどういうふうに捉えますか。

長沼

たくましい。

野村さんにとっては、生命っていうのが、理解するものであるのね。そういうとこ行くと、理解超えるの。生命っていうのは、もうね、感ずる対象なの。人間には理性、感性っていうのがあるんだけれども、我々は今まで理性の部分でやってきた。特に大学なんかそうだよね。感性の部分っていうのは、教えられない。教えるものではない。理性ではよくわからない部分があって、感じるもんだ。

野村

これは実際に行ってみないと分からないですか。

長沼

うん。僕は今日ここへ来る前に、Dialog in the Dark っていうイベントにいってきた。真っ暗闇の中に入れられるの。そんなかで動き回ったりするんだけども、面白い。簡単に極限体験笑。 ただ、僕は深海で暗黒の経験あるけど、全く違うね。

野村

深海はどんな感じの暗さなんですか。

長沼

生き物が発光しちゃうから、深海って光あるんですよ、結構。まぁたぶん1000mまでは、太陽の光量子が、密度はとても少ないけど入ってくるわけ。 人間だって、たぶん感覚的にあるに違いない。ぼくらは知覚はしないけども、感覚では分かってる。

野村

地底とは違う?

長沼

地底はほんとにダークだね。

極限に見る自己

野村

この前上野の科学博物館で、南極展がやっているんで行ってきたんです。アムンゼンやタロジロの時代と比べると、基地なんかの設備も相当整えられているという印象をうけました。今南極いくときは、冒険的な要素ってもうないんでしょうか。

長沼

極限環境に行くっていうことは、自分の極限なんだ。生命の極限を探してるのと同時に、一個の生き物としての自分の極限なんだね。それはきわめて個人的な体験で、サイエンスではないけれど、やはり一個の生き物としての限界、可能性、を探りたい。

単なる我慢比べではなく、そういった環境に身をおいてみることが大事なんだよね。単なる我慢比べであれば、それは熱いおふろに入って、あちちってやってればいい。でも、それはちょっと違うよね。南極に行くと、もうその場、自分の見える範囲が全部凍ってる。これはその場にいかないとわかんない。

そういった体験、経験をした人としてない人とでは、人生観が変わってくるとおもうんだよね。

野村

先生はどういうふうにかわりましたか

長沼

どういうふうに変わったんだろうなぁ。きっかけてきなものはわかんない。時間をかけてかわってるから。でも確実にかわってます。

今までにいろんなところに行ったおかげで思ったことは、肩の力抜いていいんじゃない、っていうこと。そういった場所においては、全てのものは意味がない。役に立たない。自分がお医者さんであろうが、どこの大学でようが、お金持ちだろうが、貧乏人だろうが、関係ない。ということを口でいうのは難しいんだが、とりあえず肩の力は抜ける。

もう一個ある。極限環境にいると、誰かの役にたちたいと思う。誰かのためになりたい、力になりたいって。例えば災害時のボランティアあるよね。このとき、自分がだめだったら、人を救えない。そして、それをもう少し普遍的にすると、人を幸せにしたかったら、まず自分が幸せにならなきゃいけないんだ。

>>(5)へ

このページに寄せられたコメントとトラックバック

*コメント*トラックバック

準備中

寄せられたトラックバックはありません。

このページについて