SCImates α2は機能を停止しています。

目次へ戻る

4 身体の共有、犬

押井人間の脳の作りだすものとして、幻想としての身体というもの。これ以外に、人間の、固有の体というものの最終的なオリジナルは存在しないのではないかと。 神経系の上にのっかるものに体をなじませていくという感覚は、人工物であっても、いろいろなところで実際にあると思うのですよ。義手とか義足を使いこなそうとする努力だけではなくて、車の運転であったり、お父さんが半年でキーボードを全く見ないで打てるようになるであるとかね。いわば、自分の体の延長化。車の運転なんてまさにそうですよね。考えて運転していたら絶対事故を起こす。考えないで運転するからこそみんなが事故を起こさずに運転できるわけで。それはやっぱり、人間は体を外変するという形にでしか、機械を扱えないということだけではなくて、実は社会化できないということなんですよね。
電話に抵抗のある人も未だにいると思うのですよ。僕もそうだけれども。顔が見ないから。顔の見えない人と会話をしていると、だんだん険悪になってくるような気がする。目の前にいる人とはいくらでも話しできるけれども、電話だと何となく相手の気持ちが掴めない。だから携帯を持たないけれども。
立花メールなんかどうですか。
押井メールもやりません。
立花そうですか。メールはますますそうなりますね。
押井はい(笑)。 僕はそういう意味でいえば、仕事以外の時には限りなくスタンド・アローンであることを目指しているので、スタジオを一歩出たら誰にもつかまらない、所在不明になる。仮に翌日の昼には必ずきますからという。どうしても緊急の事態があった場合には自宅にファックスしてくださいと言って。電話をもらっても出るかどうかわかりませんというふうに平気で言っているわけだけれども、映画監督という特殊な仕事だから許容されているだけで、本当は許容されてないのではないかしら。そういうことが要するにできるようにしちゃったわけですよね。
でもまあ、普通に考えたらそういうことができないわけだから。自分の体をどんどん拡張することで、社会化に対応するしかない。それが自分の固有の肉体に及んでなぜいけないのかということ、その答えは出ていると思うのですよね。 携帯は本来、苦痛なものですよね、どちらかといえば。ポケットが重たいとか、うるさいとか、大人の人に嫌な顔されるとかいうことが、お互いにそれを許容しあうことで慣れてしまった。目の前でちょこちょこやられても不愉快だと思わなくなったと。何故なら自分もやるから。僕はやらないから不愉快なわけだけれども。
そういうふうなことでいうと、自分の体のオリジナリティに関する幻想というのは、最初の話にまた戻るかもしれないけれど、社会化の上で必要であれば、おそらくその衝撃はわりと簡単に乗り越えられるのではないかと思います。でもそれと他人の肉体を受け入れることとは、最初から違うような気がする。
立花だから臓器移植は拒否するという。
押井僕は取り敢えずはね。
立花肉体と精神の間にはやっぱり相当インターアクションがあって、どちらとも言い切れない部分というのは相当ありますよね。
押井あると思います。
立花臓器移植を拒否するという気持ちはわかるんですが、人間というのは日常的に、その二段階上、つまり肉体もいろいろなのがあるけれども、肉体の上部構造のさらに上部構造的な部分にいくと、人間は日常的に臓器移植的な行為をやっている。お上かなんかが無理矢理注入するような形でやったら大反発が起きて大変なことになるけれども、そうじゃなくて、他人の思想を本を読んで、各人が好んで、この人のこのアイディア俺欲しい、という感じで自分も頭の中にどんどん入れるわけでしょう。その行為の繰り返しの上にこの文明というのは築かれてきたわけで。
押井そういうものは、受け入れると同時に自分も同じように誰かにそれを与えているわけだから、それはどちらかといえば、共有しているということだと思うんですね。言葉を共有している。昔の2000年前に生まれた哲学者の言葉であっても、100年前の文学者の言葉であっても、時代を超えて時間を超えてその言葉を共有する。同時に、誰かとも共有する。 それと同じように、体自体は共有するという関係もあると思っているのですよ。それがつまりさっき言った人間と犬であったり、夫婦であったり親子であったり友人であったりというような、肉体の共有度はそれぞれの関係によって違うわけですよね。男女関係という意味においては、体の共有するレベルというのは高いわけです。だからこそ夫婦という関係は、あるいは恋人という関係が、特殊な関係たり得るのであって。 言葉と同じように身体も実は共有し得るんだと。犬だ猫だという話もそれなのであって、彼らと体を共有するんだというような。それは犬を抱くことであったり猫を抱くことであったり、あるいは撫でること、一緒に寝たり、一緒に同じ道を歩くこと、もしかしたら同じ御飯を食べることで、彼らと体を共有するだというような。共有するということは、一方的に飲み込んで行くとか自分を注入していく行為とは違うと思うのですね。文学や古典や哲学を読むという行為は、いわば洗脳するとかね、外部注入するとか、そういったこととは違って、馴染むのですよ。それと同じで、言葉も体というのは実は共有するべきものだし、むしろ共有されたときしか機能しないのではないかと。言葉においても体においても実はスタンド・アローンというのは幻想に過ぎないくて、それ自体で何の機能も果たさないんじゃないか、というふうに思うのですけれどもね。
立花僕は押井さんの書いたものやその作ったものを見てて、犬との関係の深さというのが、ものすごくわからないというか…僕は実は犬、嫌いなのですよ(笑)。 それでも、押井さんが犬を抱いて、触れ合っているときの自分の感情、それから繊細に感じるいろいろなもの、それをお書きになっているのを見て、あっ、こういうことなんだってわかったのですが、それは何故わかったかというと、僕は犬は駄目だけれども、ネコとはものすごい深い関係ができるんですね。ただ、犬と猫と決定的な違いというのは、猫はあくまで他者なのですね。彼らは抱き上げても人間を拒否したりなんかして、すごく自分勝手で、本当に個そのものの存在ですよね。犬は擦り寄ってくるでしょう。僕はあの擦り寄りが嫌いだからどうしても。実は子どものときに噛みつかれたとか、そういうトラウマもあるんですけど。
押井猫好きの人はみんなそういうのですよね。
立花そうですか(笑)。
押井猫は自分勝手だからいいんだという。
立花そうそう。
押井猫と自分の生活は、一部が重なってるだけだと。犬の場合には人間と同心円上に存在しようとする、コアの部分を近づかせようとする。だから鬱陶しいとかね、媚へつらっているとかね。犬好きから言わせればそれがたまらなくいとおしいのであって。 やっぱり僕は、動物とつながりたい存在なのですよね。映画の中でも描いたのは、サイボーグが犬と同居するというので、あれが多分最終的な人間の姿だというつもりで描いたのですよ。人間の肉体としてはオリジナルが存在し得ないのだというね。野性と訣別した瞬間から。言葉を獲得した瞬間から、人間は自分の体を疎外し続ける宿命にあるんだという。そうすると、自分の肉体部分も含めて全部客体化していく存在だから、どんどん外部化していく。最終的にじゃあ何とつながることで人の体を獲得するのかというのは、動物しかないだよと。サイボーグが犬と同居する、サイボーグが犬と暮らしているという。あの姿は人間の最終的な姿なのではないかと。
僕は犬好きだからごく自然とそうなってくると思うのだけれども、サイボーグになったとすれば、犬とつながりたい。犬とケーブルで結索したい。
立花ほぉ。
押井犬の体を自分で感じると言ったところまでいってみたいと。犬がおしっこしたくなったら自分もトイレに行きたくなるとかね。犬の体の好不調も自分でダイレクトにわかるとか。すると言葉がいらないわけですよね。体がつながっているから。本来言葉としてつながり得ないものが体の部分でつながりあうという。最終的に一番素晴らしいことなんじゃないかと。
立花ハハッー、なるほどね。 僕は押井さんのものはいろいろ読んでて、言葉を人類が獲得したときにはじめて人間になった、個の世界というものができて人間になったという、そういう論旨で展開していく一つの世界がありますよね。実はこの取材をやってて、すごくショックだったことの一つはね、自分で神経接続の実験に参加したことなんですよ。本当にこう電極というか、細い針を入れて、神経に接続して、そこから入力したり、それからこっち側から外部機器を動かしたりみたいなね。外部機器と言ったってメーターを振らすぐらいですが。それを実際にやったときに、本当に電極が入るこのつながった瞬間、さらに外部から信号を入れるときに来るこの感じね。テレビの撮影ですから、カメラの人やディレクターの人はどんな感じですか、言ってくださいよ言ってくださいよ、というのですけど、これが言葉にならないのですよ。言葉というのはこんな貧しいものかと思うけれども、この神経に信号が入った、針が入ったその瞬間に感じるものすごい感覚ってあるわけですよ。いろいろ神経系に入ってくる感覚が爆発しそうにあるのに、それが全く言葉にならないという、なんていうか自分って何なんだということがまるで表現できない。その無力感が、ものすごい大きなショックでしたね。人間、個というのは言葉の世界だと思っていたら、そうじゃなくて、言葉にならない世界のほうがその向こうにものすごくあったんだという。
押井それが要するに体ってことですね。
立花そういうことですね。

>>5他者との関係、宗教

目次へ戻る

このページに寄せられたコメントとトラックバック

*コメント*トラックバック

準備中

寄せられたトラックバックはありません。

このページについて