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第6回 インターネットと透明人間

NHK解説委員・「科学大好き土よう塾」塾長(NHK教育) 室山哲也

私は、いわゆる「インターネットいじめ」をうけたことがあります。

関係者が多いので、詳しい記述は差し控えますが、「凄絶」「残酷」などの言葉では、簡単に表現できないような、異常な体験でした。

いじめる第3者側は「祭り」とよんで、軽いノリで書いているらしいのですが、表現は次第にエスカレート。

毒気を増し、ふだんは聞いたこともない罵詈雑言になっていきました。

インターネット上に仲間がいるらしく、言葉が次の言葉に火をつけ、自己増殖する感じで、数十、数百もの中傷があらゆる方向から降り注いできます。

その言葉に傷つき、ついに僕の友人の3人が心身症になり、ひとりは会社を辞めるまで追い詰められてしまいました。

私たちは、もし人を非難するときでも、相手の表情を見ながら話せば、普通そこまでいきません。

ノンバーバルな言葉が全体を包み、血のかよった豊かなコミュニケーションが成立しているからです。

ところがネットいじめの言葉は、普段は使わないひどいものばかり。

おそらくその人たちも、日常生活では絶対使ってはいないのではないでしょうか。

なぜ、こんなことがおきるのでしょうか。

インターネット上で、文字のやり取りをする場合、情報量が少ないので、表現が先鋭化し、極端になっていく傾向があるという説明をよく聞きます。

おそらくそうだろうと思いますが、私はその背後で、もっと深刻なことが起きているような気がします。

ある脳科学者が「ボディイメージ」という面白い話をしてくれました。

私たちの脳は、もともと手や足などからなる「人体」と強い絆で結ばれています。

身体を取り巻く周囲の情報が、視覚、触覚、聴覚などの五感を通じて脳に入力され、脳の中に「イメージ」が生まれます。

逆に脳は、作り上げたイメージを土台にして、指令を出力し、筋肉を操って、身体に移動を命じたり、物をつかませたりしています。

このとき、脳の中には「ボディイメージ」と呼ばれる「身体の地図」が出来ており、その地図をベースにして、対象物との距離を測り、つかんだりいじったりしているというのです。

「座って半畳、寝て一畳」しかない、人間の小さな身体。傷を受ければ出血し、死にいたってしまうはかない人体。脳はそのことを熟知し、この身体をどのように操り、生きていこうかを常に考え続けているのです。

脳は、身体の虚弱さのゆえに、命のはかなさも知っているのです。もともと人間の脳と心はそのようなものでした。

ところが、脳には、もうひとつの別の側面があることがわかってきました。

サルに道具を使わせると、脳内のボディイメージが道具にまで拡大される研究があります。

今まで自分の身体を認識していたニューロン(神経細胞)が、道具を手の一部として認識し始めるというのです。

道具を操る職人が、よく、「道具の先に触れるものの形や硬さ、状態までもがわかる」と言います。

そのとき、道具の先は指先と同じで、脳内の「ボディイメージ」は、道具と一体になった「サイボーグ」のようなものになっているのでしょうか。

この理屈を広げていくと、色々なことが理解できます。

自動車を運転するときの「車間距離」や「車幅感覚」は、自動車が自分の身体のように思えているからかもしれません。タイヤを蹴られると、身体を蹴られたかのようにハラが立つのも、納得がいきます。

タンカーを操縦する船長のボディイメージは、堂々とした巨大な鋼鉄製の船のイメージなのかもしれません。

この理論でいくと、インターネットに接続されたときの脳には、どのようなボディイメージが出来ていることになるのでしょうか。

脳は、クモの巣のように果てしなく広がった身体を得て、どこにでも自らの触角を伸ばし、世界を知り、逆に世界に働きかけることが出来ます。無数のサーバーには、無尽蔵の情報が蓄積され、森羅万象の物語、科学的成果、バーチャル住民との虚構の市民生活が詰まっています。そこには「座って半畳、寝て一畳」の虚弱な身体は、もはやなく、生物界の原則を越えた、今まで見たこともない、モンスターのようなボディイメージが出来ているのかもしれません。

数百万年かけて人類が獲得してきた人体イメージは、まるで透明人間のように透き通り、淡い粒子となって消え去っているのかもしれません。

「人間とはそのようなものだ」といえばそうかも知れません。人類が、獲物をとるとき最初に棒を手にしたときから、その物語は始まっていたともいえます。

しかし、科学技術が爆発的に進歩する中で、生物としての人間の約束事まで急速に塗り替えられ、「生存」にかかわる事態が発生しているのではないかと、私は時々、不安になってくるのです。

インターネットいじめは、そのような文脈で起きているのではないでしょうか。そこは「生物としての掟」が通用しない世界。天使のような人間と、悪魔のような人間が、むき出しで生息する空間なのかもしれません。


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