第7回 電気刺激で脳をよみがえらせる男たち
NHK解説委員・「科学大好き土よう塾」塾長(NHK教育) 室山哲也
先日、ある病院で、信じられない光景を見ました。
脳に障害がある患者さんの手がぶるぶると震え、コップをどうしてもつかむことができません。脳卒中の後などに起きる振戦(しんせん)という症状です。その人は、何とか自分の意志で、暴れまわる手を制御しようと苦闘しています。
しかし、手の勢いはいっこうに止まろうとはしません。
そこに、医師がバッテリーのようなものを持ち出し、患者さんの胸に当て、スイッチを入れました。すると、ウソのように手の動きが止まったのです。驚くべきことに、その後は、自分の意志で手を動かせるようになりました。
この治療法は、脳内に電極を埋め込み、外部から電気を流して脳に刺激を加え、異常な体の動きを抑える「脳電気刺激療法」です。
以前、同じ病院で、このような光景も見ました。
その患者はいわゆる植物状態で、長くこん睡が続いていました。表情は硬く動かず、時間が止まったような印象でした。この患者の脳にも電極が入れられ、電気刺激が与えられました。その瞬間、患者さんの目が開き、口が開き、なんと「あー」と声が出てきたのです!意識が覚醒したのです。
「たまげた」という言葉がありますが、私はその光景に腰を抜かし、夢を見ているような、キツネにつままれた気分でした。
日本大学板橋病院(片山容一教授)では、この療法を20年ほど前からはじめ、既に600例もの実績をあげてきました。最初は疼痛(痛み)の除去、その後、振戦やヘミバリスムス(動きが制御できない)、パーキンソン病などに治療範囲を広げ、今では(植物患者などへの医療以外は)保険適用を受ける確立したものとなり、国内でも30ほどの病院で行われるまでに成長しました。
なぜこのようなことが可能なのでしょうか?
脳を構成する神経細胞の回路には、「インパルス」と呼ばれる電気信号が流れています。この流れが、体を動かしたり、思考する情報となっているのです。電気信号が過度に伝わりすぎると、情報が混乱して、てんかんや手足の震えにつながり、電気信号が伝わらないと、対応する体の運動も停止してしまいます。
電気刺激治療は、この神経細胞の活動パターンを外部から制御し、脳の機能を正常な状態に戻そうというものです。
「こんなことをしてもいいのか・・」
最初見たとき、実は、私はそう思いました。
しかし、脳に障害を受け、他の治療法やリハビリで回復の見込みが立たず、深い悩みの中で、回復を切望している患者さんを見ると、「最後の手段」としてこの療法を認めてもいいのではないか。いや、新分野の療法として、もっと育成していくべきものなのではないかとも思います。
最近、この電気刺激療法に新しい展開が始まりました。脳卒中による運動マヒに、この療法を使おうというのです。
今までの治療は、振戦のように、体が過度に動いたり、激しい痛みを「抑える」方向にこの療法を使ってきました。
しかし運動マヒの場合、動かない状態を「動かす」方向の治療で、この症状に悩む患者数も多いことから、社会的なインパクトがあり、新しい段階の局面といえます。
アメリカでは、既にこの療法について論文がだされ、18の医療センターで、治療(一般治療ではなく研究段階)が始まっています。そしてついに、日本でも試みが始まりました。
愛知県厚生農業協同組合連合会加茂病院(小倉浩一郎部長)では、運動マヒ患者の脳の表面(硬膜外)に電極を載せ、7例で改善を確認しています。リハビリと併用し、治療後、電極を除去しても、効果が持続するといいます。これは、電気刺激で脳内部に変化がおき、変化が持続していることを示しています。現在この治療は保険適用外ですが、今後の治療の成績いかんでは、新しい脳神経外科の療法として発展していく可能性があります。
とまあ、いいこと尽くめの話なのですが、私には一つ心配があります。
この療法の効果があまりにも劇的なため、適用範囲が次第に広がりそうなことです。アメリカでは既に、今までのほかに、てんかん、失語症、うつ病、過食症による肥満、強迫性障害などに、この療法を使う研究が進んでいます。
しかしこれらは、今までの「痛み」や「運動不全」の領域を超えた、人間の心や精神にかかわる領域。本当にどこまでこの療法を使っていいのか、わたしは素朴な不安を感じるのです。この動きはそのうち日本にも押し寄せるだろうと思います。「ガイドライン」や「倫理的問題」など、社会的な視点でこの療法を位置づけていく必要があります。
脳の世界では、かつて「ロボトミー」のような悲劇が起きました。その悲劇を繰り返さず、正しい医療として上手に育ってもらいたいと心の底から祈っています。
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