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宮崎学氏の動物写真集について

  

今回野生動物を撮り続けている宮崎学氏の著作三冊、「ふくろう」「死を食べる」「けもの道」を読むことになった。つくりはいずれも写真集にエッセイ風の短文を載せた感じであった。普段こういった類のものを読まない私は最初に「原稿を書いてきてください」と言われた時は戸惑ったし、現にどう書いていいかわからないまま原稿を書くことになった。こんな状態で原稿を書くなど無礼千万であることは承知の上だが、以後私なりのこの三部作と、これらを生み出した宮崎さんの世界観について述べることにする。

「ふくろう」を最初に取り上げることにする。この作品は1978年に第1回日本絵本大賞を受賞した作品である。内容は雄の獲物を獲得する瞬間を捉えた写真や、雛がかえりそして巣立ってゆく様子が描かれている。本によれば雛は抱卵30日で孵化し、30日で巣立つという。人間でいえばわずか2週間しか親元にいないことになる。それでも写真では親の元で庇護を受けている姿がほほえましく見えた。ただ、何故か写真集にはよく絵本に載っているふくろうが首を180度回す写真が見当たらなかった。宮崎さんは鑑賞としての写真よりもふくろうの「生」に重きを置いたから写さなかったのだろうか。

次に「けもの道」を取り上げる。この作品は動物写真界に新風を巻き起こしたという。実際に手にとって見ると27年前の写真にも関わらず今見渡しても新鮮さを失ってない。実に最初の1ページ目のニホンカモシカの写真を見たとき、言葉では形容できない神秘性なるものを感じた。そして印象的だったのは動物達が何かに向かって前進する姿を後ろから写した写真や、前から撮った写真を交互に載せる構成はけもの道の役割を動物たちの視点から載せた点で画期的だと思う。巻末にはモノクロ写真だが雪道を歩く動物達の様子が描かれている。特徴なのは雪の後に足跡がついていることだ。様々な動物達が様々な足で様々な足跡を作っている。その足跡を追って獲物を追う動物達もいる。その上からまた足跡が出来てゆく。こうして冬のけもの道が出来上がってゆくのだ。また、著者はけもの道をこう評している。

最近観光化が進むにつれて人間が歩く道が増えてきている。動物達はそこも自分達の道として利用するようになった。私はそこもけもの道とみなして動物たちの歩く姿を撮った。ある人は、「人が造った道などけもの道じゃない」と主張した。しかし、私はけものがそこを生活の手段として用いるのならば立派なけもの道となるじゃないかと主張した。人間の主観で道が判断されるのではなく、あくまでけものの視点からけもの道を捉えるべきだと。

三番目に取り上げるのは、最も印象に残った「死を食べる」である。これは2002年出版と比較的新しい。この本は普段は意識されない「死」を死体という観点から、動物たちの写真を取り上げたのだ。写真には狐や、魚、鯨など様々な死体が載っている。

死体を巡って様々なドラマが繰り広げられる様子を長期間にわたって撮影した写真には死体の持つ不気味さや不潔さは微塵もなかった。それどころか死体を巡って様々な動物達が生きている様子は生き生きとしていた。この本で主張されているのは、死体を食べていくことで生命は生きているのだということ。つまり「死」を「生」に取り入れることで死は生とともにあるのだ。決して死は生に相反するのではなく、「生」は「死」によって生かされているということなのだ。この本は動物達の死体を発信することで人間に「生」をより強く意識してもらいたいのである。

以上独断と偏見で宮崎さんの著作を批評した。随分拙い文章であったが宮崎さんの世界観を少しはつかめたかもしれない。宮崎さんは動物達の写真を撮ることで人間に「生」への意識の獲得を促したかもしれない。いや、人は意識しているつもりでもあくまで人間側の視点でしかものを見ていない節がある。人間から直接入るのではなく、動物から入ることで人間に意識してもらいたかったのではないだろうか。その手段として動物達の「生」と「死」を写真でぶつけようとしたのかもしれない。

  

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文責:栗原 義明

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