押井 | ところで立花さんに一つお伺いしたかったのですけれども、サイボーグになりたいですか。 |
立花 | 僕ですか。それはサイボーグの定義によりますね(笑)。 |
押井 | (笑) |
立花 | でも、腕の神経に電極をつなぐあの実験に参加して、言葉にならない感覚を得ましてね、あの実験さらにその延長もずっとやりたいみたいなね、その気持ちって、サイボーグになりたいという気持ちなんだろうと思うのですよ。あのなのもいえない感覚はまだ経験したことがない人には伝えようがない。言葉を超えた世界というのはかつて、神秘主義的な宗教的体験とか何かそういう世界についてもっぱら言われていたんだけれども、いまやその対極にあるような世界で、肉体の中に電極をいれることで、ちがうチャネル経由で発生する超言語世界体験を味わえるわけです。それは体験として非常に面白いから、若い人がどんどんそういう世界に入り込んで、まあ薬物中毒みたいになる危険性というか、「アヴァロン」の脳ぶっ壊われの世界が現出してくる可能性がありますね。そういう危険な世界に平気で入り込んでいく、冒険主義的な連中によって引っ張られていくのかもしれない。 |
押井 | 体の拡張を受け入れた以上はね、体と直結するという、そういう感覚に抵抗できないと思うのですね。 |
立花 | うんうん。 |
押井 | 今、起こっているのは、単なる体の拡張だけではなくて、体と直結することなんだと。これは体験としては一部のアスリートであるとか、優れた宗教家であるとかが独占してきたものだったけれども、それが今容易な技術として提供されるかもしれないというね。自分の体と直結するという感覚、厄介なお荷物ではない体と。多分僕自身はやると思うのですよ。「アヴァロン」があれば「アヴァロン」に直結したいという、ジレンマながらやってみたいと思ったからこそあの映画をつくったのであって。 |
立花 | ただね、僕は「アヴァロン」の脳がぶっ壊れる話はまだいいと思っているのですよ。それはその人個人の話ですからね。一番怖いのは、こういう技術の延長上に、いままで想像もできないようなレベルで、水爆の発展形のような、物理世界そのものを壊す高度な技術が可能になって、それが脳が壊れた世界と結びつくことですよ。あの脳が壊れた連中がそういう技術使用の決断の椅子に座ったら、それはとんでもないことが起きえる。一回起こったらこの世のすべてが終わりみたいな、そういう世界ですよね。そういう自分ではどうしようもない危険性にこの世界全体が入るという、これも事実だと思うのですよね。 |
押井 | 核ミサイルと結線したいという人があらわれた(笑) |
立花 | そういう人もいるでしょうね。必ずいますよね。 |
押井 | 銃に惹かれる人間、刀剣類に引かれる人間とか、武器を持ったときの自分の体の拡張、自分の体と直結する感覚を理解している人間がいるわけですよね。だからこそみんなが武器を求める。それは別に戦争上必要だからとかね、生活に必要だからとかいうこと以外にも、趣味として銃器を持とうとしたり日本刀を持とうとしたり。それは一種の肉体に酔える瞬間だと思うのですよ。新たな身体なのですよね。それと同じような理屈で、人工衛星と直結したいとかね。核ミサイルと直結したいとか。そういう可能性も全部含むんですよ。人間の身体を解放するって、そういうことなのですよ。人間というのは想像したことはすべてやるから。今までそうしてきたし。そういう人間は必ず現れると思う。 |
立花 | それがオウムの麻原彰晃だと思うのですよね。彼は多分本当に本気でハルマドゲンをこの手で起こしたいと思った人なんだろうと思いますよ。そういう存在になりたいと言って、部下たちにいろいろな技術を開発させたわけですよね。この延長上には本当にそういうトンデモ人間が出てきて、トンデモ世界が起きるという可能性がありますね。 |
押井 | 常にアメリカの軍人はそう思っているわけだから。パイロットと戦闘機を直結させたいという。 |
立花 | そうですね。ええ。 |
押井 | 直接兵器を脳でコントロールしたいというの、一番ロスがないからね。タイムラグもないし。合理的なわけですよね。 |
立花 | 今は本当にダーパの連中というか、軍の連中がね、ブレーンマシーンインターフェースの技術を最大限に兵器の中に取り入れようとしているのですよ。どうしても兵器の世界というのは、相手にちょっとでも勝つにはどうすればいいかということだから、それこそミリ秒以下のマイクロ秒の世界で、脳に直結するとこれだけ早いと言ったら、そっちのほうが実際に勝っちゃうわけですからね。 |
押井 | それは軍事の先端であるアメリカ軍もそうですし、一方で一番不均衡ないわゆるテロリストもそうだと思いますよ。原理主義者もそうなんであって、一番確実で安価な誘導装置は自爆テロですよ。 |
立花 | そういえばそうですね。 |
押井 | あれも実は同じ問題なのですね。だからどちらが有効なのかという話にしかならないわけですよ。パイロットと戦闘機を脳と直結してコントロールしようとするんであって、それはリモートコントロールでよろしいという、ハードウエアは全部無人化していこうという発想なわけでしょう。原理主義者はその逆なことを言っているわけですよね。限りなく密着させようと。人間という存在は最終的には一番安価で、リスクはないんだと。そういう意味でいえば、先端技術とは前近代的な宗教の世界というのは言ってみればそういうレベルで対峙している。それはますますエスカレートするんじゃないかと。 |
立花 | 我々の日本社会というのは、まさにその極限をあの戦争の末期にやったわけですよね。 |
押井 | そうですね。 |
立花 | あのとき人間ミサイルと化した特攻機の連中というのは、3000人以上いたわけです。 |
押井 | ネットワーク化して、我々人間が端末化して、ネットにぶら下がりの存在になる一方で、地球上の片隅に、あるいは半分が依然として中世を生きているという、僕はそういう可能性のほうがありそうな気がする。実は恐れることはそのことだというかね、巨大な技術格差が、技術によってさらに広がっていくという気がするのですけれどもね。 |
立花 | 我々の1940年代の日本社会というのは、頭の中の世界は中世以前のそういう思想に凝り固まっていたわけだから、まさに生きていた中世の世界が作った人間ミサイルみたいなものですよね。 |
押井 | というか、違う見方をすれば、人間がすべて端末化して、言葉を共有するという関係になったときに、ああいった形でのイデオロギーの外部注入は不可能になるかもしれないというメリットもあると思うのですよね。 |
立花 | なるほどね。 |
押井 | 地球上のすべての地域が近代化するということが、民主化以前の話として、はたしてあり得るのだろうかと、というふうな気がするんですけれどもね。だから人間の存在それ自体は、特に地球規模で言えば、どんどん両極に引っ張られていくという気がするのですよね。あくまで、もはや選択の余地はない世界としてね。 |
立花 | こう横に引っ張られると同時に、僕は縦にも引っ張られるというか、つまり、時間的に古代の思想から中世の思想、近代の思想、現代の思想までが精神世界の時間軸上に伸びて、それが全部一緒になってぐじゃぐじゃになったまま走っていくような状態にあるのが現代社会じゃないかという気がしますよね。 |
押井 | そうですね。 |
(おわり)
準備中