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この特集について

臓器のなかでも最も複雑な臓器である人間の脳。いま、この脳に電極を埋め込むDBS(Deep Brain Stimulation=脳深部刺激療法)という画期的な治療法が、パーキンソン病をはじめとする、難病に苦しむ多くの患者に希望を与えている。人間と機械の融合=サイボーグをテーマに、05年11月にかけて放映された「NHKスペシャル 立花隆 サイボーグ技術が人類を変える」でも、この治療法が取り上げられ、視聴者から大きな反響を呼んだ。  今回、番組にも登場したDBSの世界的権威である日本大学医学部の片山容一教授(脳神経外科)に、あらためて「DBSによる脳治療の可能性」と「危険性」について立花氏が質問した。

DBSによる脳治療の可能性と危険性

立花僕はこの夏、アメリカで最先端の医療を取材したんですが、DBSによってパーキンソン病やジストニア(筋肉の異常な収縮によって、全身や身体の一部がねじれたりする病)のような、これまで難病とされていた病が治療されているのを見て大変驚きました。ひどいジストニアに苦しんでいた少年が、手術後、自転車に乗ったり、プールで泳いだりしているのを見たときには仰天した。まるで聖書の中にある奇跡物語のようで。歩けない人がキリストから「杖を捨てて歩け」と言われたとたんに歩けるようになったという、あの有名な場面を思い出しました。
片山8年前にジストニアの患者さんを初めてDBSで治療したんですが、劇的に症状が改善されて、私もびっくりしました。以来、ジストニアだけで約40人の患者さんを治療しています。
立花片山先生は、日本ではもっとも多く、この治療法の症例数をお持ちだそうですね。まずは、DBSとはどんな治療法なのかをあらためて簡単に説明していただけますか。
片山パーキンソン病を例にご説明しましょう。パーキンソン病もジストニアも「不随意運動」と呼ばれる症状を示す病気です。筋肉が自分の意思に関係なく収縮して、思い通りに動かなくなり、結果として、手・足・胴体が震える「振戦」や、踏み出そうとした足がなかなか前に出ない「すくみ足」といった症状が出ます。原因は、脳の深いところ、おもに運動をつかさどる視床、視床下床、淡蒼球など、大脳基底核の異常です。

脳は神経細胞とそこから伸びた神経線維のネットワークから成り立っています。神経線維には電気信号が流れているのですが、パーキンソン病の人は、大脳基底核でこの電気信号の流れが乱れることによって身体の運動がコントロールできなくなっています。そこで手術によって脳に電極を、胸部にはパルス発生器をそれぞれ埋め込み、異常をきたしているこれらの部位を電気刺激することで、症状を緩和させる  これがDBSという治療法です。2000年にはパーキンソン病を含む不随意運動の治療法として国内でも保険適用されるようになりました。
立花脳に電極を差して、電気信号を送って脳のはたらきを調整する、いわば脳のペースメーカーですね。アメリカの学者にも聞きましたが、この治療法がなぜ効くのか、そのメカニズムは厳密にはわかっていないようですね。
片山ええ。ただし、脳のどこをどう刺激すれば、どの症状を軽くできるかということは、基礎医学の研究から、かなり明確に判明しています。手術ではまず、脳のどこがどのような機能を持つかを示した、脳内の地図である「脳図譜」に、患者さん一人一人の脳画像を重ね合わせます。次に、頭部を固定するための器具を取り付けて、慎重に電極を差し込んでいきます。「定位脳手術」と呼ばれるこの方法によって、脳内の正確な部位に1?以下の単位で電極を挿入することが可能となりました。
立花先生は、この治療法をはじめられてどのくらいになるんですか?
片山26年です。最初は試行錯誤でしたが、15年ほど前からかなりの成果をあげられるようになりました。
立花DBS治療の最初の患者さんのことは覚えてらっしゃいますか?
片山1979年、難治性の神経因性疼痛の患者さんでした。痛みを感じるのは脳です。そこで脳のはたらきを電気刺激によって調節することで痛みを和らげようとしました。DBSが対象とするのは、このような神経に起因する痛みと、パーキンソン病・ジストニアなどの不随意運動です。現在使われている刺激システムとよく似たものを当時から使用していました。
立花脳に電極を埋め込んで電圧をかけるというのは、ちょっと聞いただけでは、そんなことホントにやっていいの? って思うくらい、怪しげな治療法ですよね(笑)。当然ながら、リスクもあると思うんです。脳に電極を差し込む際に傷つく神経細胞もあるはずですし、血管にあたれば出血もする。
片山電極といっても針金のような硬いものではなく、とても柔らかい材質でできています。ですから何か障害が起こるほど神経細胞が破壊されるという心配はありません。ただし、仰るとおり、出血のリスクはあります。これはどんなに優れた脳外科医であっても避けることのできないもので、100人に2人程度の割合で出血が起こるとされています。もちろん、手術を受ける患者さんには事前に説明します。
立花パーキンソン病に関しては、従来は電気刺激ではなく破壊術、あるいは凝固術という方法もありますよね。
片山はい。昔から視床のある場所を破壊したり凝固したりして症状を和らげる治療法がありました。
立花以前は破壊したり、凝固していた場所を、今度は電気刺激しているということですか?
片山基本的にはそのとおりですが、脳のその場所を根こそぎ除去しなければ症状が抑えられないかといえば、そうではありません。症状を起こす機能だけ除去すればいいわけですから、わざわざ破壊することはないのです。また、凝固にしても、いったん凝固すると元には戻せなくなります。刺激療法であれば、複数の場所を同時に刺激して広い範囲に影響を与えることもできますし、効果がなければそこで刺激を止めることもできます。いまDBSで使用しているのは4つの活性点のついた電極なので、埋め込んだ後でも複雑な調整が可能です。
立花なるほど。電極を使って脳を刺激するというDBSの応用範囲は相当広いと言えそうですね。実際アメリカでは、不随意運動や疼痛だけでなく、あくまで臨床試験の段階ですが、うつ病や強迫神経症のような人間の精神に関わる病にまでDBSによる治療が始まっています。

たとえば、カナダ・トロント大学のアンドレ・ロザーノ医師は、脳内の「Cg25」という部位が、人間が悲しさを感じるときに活性化することをつきとめ、「悲しみのセンター」と名付け、うつ病の患者に対してCg25への電気刺激を行っています。まだ途中段階ながら、11人中8人に効果があったと発表している。テレビでも紹介しましたが、彼のうつ病の患者が、手術前は表情がドローンとして、今にも自殺しそうなくらい落ち込んでいたのに、手術後にはとても晴れやかな顔になっていた。その映像を見てびっくりしました。
片山ロザーノ先生には、この秋に開催された私どもの学会(日本定位・機能神経外科学会)のあるセッションで「DBSは精神疾患にどこまで応用できるか」について、講演してもらいました。日本の脳外科医・精神科医の中にはDBSを精神疾患に使用したいと考えている方もかなりいます。

ただし、欧米を中心にDBSが、うつ病や強迫神経症、あるいは過食による肥満にまで応用範囲を急速に広げている現状を、私自身はやや批判的にみています。もっと根拠をはっきりさせた上で、慎重に研究を進める必要があると思うからです。
立花たしかにそうなのですが、ロザーノ医師のうつ病患者のように、実際に効果をあげている映像を目の当たりにすると、人間の心は意外とメカニカルにできているんだな、というのが僕が抱いた率直な感想です。もちろん、心は機械的であるなどと単純に言うのは間違いですが、その一方で、心、人間の存在をあんまり神聖化するのも、また誤りなんじゃないか、と。つまり、心の相当部分はメカニカルにできていて、電気機械仕掛けの部分があるからこそ、DBSのような治療法が高い効果をあげるのではないでしょうか。
片山立花さんの仰りたいことはよくわかります。しかし、だからこそ気をつけなければならないと余計に思うわけです。学会のセッションで、私はロザーノ先生に「(治療後の患者さんが)本当に悲しむべきときに、悲しくならなくなったりする怖れががあるんじゃないでしょうか」と質問しました。彼の答えは次のようなものでした。自分の患者は、極度に気持ちが沈むことがなくなったのであり、悲しめなくなったのとは違う。友人の葬儀に参列した際に悲しさを感じた、と、その患者は言っていた、と。要は電気刺激の調整の問題であるというのです。しかし、これはあくまでもエピソードに過ぎず、さらに症例を重ねる必要があります。
立花だいたいどの程度の症例が必要だとお考えですか。
片山20〜30ぐらいでしょうかね。しかし、新しい治療法を試す場合には、予想もしないことが起こる可能性を常に考えなければなりません。26年前に私がこの治療法をはじめたとき、心配されたことが二つありました。

一つは「てんかんが起こるリスク」です。DBSでは、脳に対し、継続的に一定の周波数の電気刺激を加えます。そうすると、簡単に言えば「脳にクセがついてしまう」ことで、患者さんにてんかんが発生するのではないかという怖れがありました。手術中に電気刺激を強くすると、脳が局所的にてんかんを起こすことがあります。手術中ならともかく、DBSは退院後もずっと刺激を与え続けることになりますから、1年、2年と装置を使い続けているうちに脳にクセがつくかもしれません。これをてんかんの分野では「燃え上がり現象」と呼んでいます。もし、自分の手術で患者さんがそうなってしまったら、この分野における自分の研究者生命は終わると常に覚悟していました。私はこれまで500例ほどDBSを行ってきましたが、てんかんになった患者さんは幸い1人もいません。
立花なるほど。もう一つは?
片山いわゆる「報酬系」を刺激してしまう危険性です。ネズミの頭に電極を刺して、ネズミがペダルを押すと自分の脳に刺激が加えられるようにするという実験が1960年代に行われました。実験を行ううちに、ネズミがみずから好んで刺激したがる脳の部位があることがわかりました。これが報酬系と呼ばれる部位です。
立花快楽中枢ですね。
片山そのとおりです。このような効が、人間に対する治療の場合にも起こってしまうのではないかという心配があったんです。
立花いったん報酬系を刺激すると、マスターベーションを覚えた猿のように、歯止めが利かなくなる?
片山そうです。ようするに中毒ですね。私がこれまで治療してきた脳の場所の中に「青斑核」と呼ばれる部位があります。この付近を刺激したときに、ちょっとこれに似た反応を示した患者さんがいました。神経因性疼痛を患っていた患者さんです。青斑核付近への刺激は痛みを軽くする効果があるんですが、その患者さんの場合にも効果があった。ところが、よく話を聞いてみると、どうもそこを刺激すること自体に強いモチベーションを持っているように感じられたんです。ぞっとしましたね。それ以来、その付近の刺激はしていません。
立花報酬系は青斑核以外にもあるんですか?
片山ええ。ロザーノ医師以外でも、アメリカで、クリーブランド・クリニックのアリ・リザイ医師がうつ病の治療にDBSを応用しています。彼はDBSの経験豊かな脳外科医ですが、どうも彼が刺激しているのは別の報酬系の可能性があり、私だけでなく他の医師も疑問に思っています。もし報酬系への刺激であれば、それは 人工的・機械的な幸福感 になる。微妙な問題ですが、非常に気になるところです。

実は、私たちが普段行っているパーキンソン病患者に対するDBS治療においても、手術後に、うつの状態が改善される傾向にあります。基本的にパーキンソン病の患者さんには、うつ傾向が強いのですが、刺激を行うと顔つきが良くなるし、身体も元気そうになる。しかし、それは人間の心をいじっているからかもしれません。この点はかなり真剣に考える必要があります。
立花ただ、一般的に、うつ病治療は薬物で行われますが、薬物こそ心をいじっている。しかも、薬物による治療が脳全体に対して絨毯爆撃的な効果を及ぼすのに対し、ピンポイント爆撃に近いDBSは、薬物治療ほど弊害が少ないんじゃないでしょうか?
片山弊害の多い少ないに関しては細かい議論が必要になるでしょう。ただ、一つだけ言えることは、薬物は呑むのを止めればとりあえず効果を止められますが、DBSは止めるのが難しい、ということです。患者さん自身が自分でスイッチのオン・オフをできるからです。つまり、第三者による調節が利かない側面がある。逆にそれを、第三者が悪用する可能性もあります。
立花第三者が脳のスイッチのオン・オフを握ることで、その人間をコントロールできてしまうわけですね。たとえば独裁者の国であれば、人間集団の脳に電極を埋め込むかもしれない。
片山そうです。出撃する前の兵隊たちに、将校が脳のスイッチを入れ、兵隊たちの気分を高揚させ、やる気を引き起こすとか  SFの世界のようなことさえ現実に起こりかねない。
立花それを聞いて思い出しました。日本の特攻隊が嬉々として自爆攻撃に繰り出していった大きな理由のひとつは、実は覚醒剤のヒロポンなんです。戦後、なぜ日本でヒロポンが蔓延したかといえば、特攻隊に与えられていた大量のヒロポンが市場に流出したからです。DBSが脳内にヒロポンのような快楽効果をもたらすことにでもなったら、一挙に広まるかもしれません。
片山刺激療法はヒロポンほどの快楽は与えられないでしょうが、ある種のやる気を起こさせることはできます。朝、目が覚めて「今日は会社に行きたくないな」というときに、スイッチを押すと、やる気が出る  とか。もちろん、あくまで仮定の話ですが。
立花その会社の社長が携帯電話かなにかの機器で遠隔操作して、朝、スイッチを入れると全社員がやる気になったりするかもしれない(笑)。
片山そこまでいくとほとんどSFの世界ですよね。しかしながら、手術で脳のはたらきをコントロールしようという試みに関して、われわれ脳外科医は非常に苦い経験をもっています。1950年代から60年代にかけて大きな問題になった「精神外科」と呼ばれる分野です。それまで薬物治療では対処できなかった精神疾患を、脳の手術によって治そうとしたわけです。
立花いわゆるロボトミーですね。当時は精神疾患を患った患者の前頭葉を切除するというロボトミー手術が大流行しました。しかし、手術後に患者の人格ががらりと変わったり、知能が著しく低下するなどの問題が次々と起こって取りやめになった。手術の提唱者であるエガス・モニスにはノーベル医学賞が授与されましたが、ノーベル賞史上最大の汚点と言われています。
片山日本では1975年に日本定位・機能神経外科学会で「精神外科はやらない」という宣言をするに至ったのですが、ちょうど私はその頃にこの分野に入ったこともあり、恩師から「気をつけなさい」と口を酸っぱくして言われました。ですから、ロザーノ先生やリザイ先生に対して若干の危惧を抱いているのです。私もこの分野の後輩たちに、事あるごとに言っています。とにかく気をつけてくれ、と。脳外科医だけでなく、精神科医、倫理学者など外部の専門家から成る組織の承認を得た上で、慎重に進めるべきだ、と。
立花ただ、若い世代のDBSの使い手たちは、おそらくこう考えているんじゃないでしょうか。30年前とは比較にならないほど、医療技術がレベルアップした今日では、DBSを精神疾患に応用するのも現実的な医療のあり方として正しいのではないか  と。
片山いま、立花さんが仰ったことの8割は正しいと思います。技術が格段に進歩して安心感も高まった、という点ですね。ただ、私が2割反論したいのは、この治療技術の根底にある思想のことなんです。たとえ人間の脳の機能をいかに正確に理解できたとしても、脳を人工的に変えることによってそのはたらきも変えてしまってよいのでしょうか。それを行うこと自体が悪いことだとは私は考えていませんけれども、注意が必要です。医学の知識が増大し、技術精度も高まった現代だけに効果がはっきり出てしまう。だからこの技術は、私もあなたもと、誰にでも気軽に利用できるものでは決してないと考えます。
立花実は、私もロザーノ医師にそのあたりのことについて尋ねてみたのです。彼の治療を受けるうつ病患者たちは皆、大変な重度のうつ病で、薬物治療では効果を上げられない。だからDBSを使うのだと彼は言いました。

「そこに苦しんでいる患者がいる。その患者の苦しみを自分の技術で軽減させることができるならば、それを行うことは医療の倫理に照らして正しい」

僕も基本的に正しいと思うんです。これは「患者の利益になることをし、不利益になることはしない」という「ヒポクラテスの誓い」と同じですよね。
片山患者の利益になると思われることをする  それ自体は正しいと思います。しかし、誰が患者の利益を判断するのか。医者が判断するのであれば、医者の独善に陥る怖れは常にあります。患者の利益を100パーセント医者が判断できるのか、私はずっと疑問に思ってきました。患者は素人で、患者の利益を判断できるのは医者である。だから医者にすべてを任せようというのがパターナリズムですよね。医師の善意による行動が、結果として患者の不利益になった例は枚挙にいとまがありません。
立花私は2年ほど前に大腸がんの疑いで入院したことがあります。入院中、たくさんの文献を買い込んで、がんの勉強をしました。担当医の説明を理解しようとしたんですが、手技の細かいところに分け入っていくと、もう紙の上の勉強じゃついていけない。そうなると、あとはもうその医者を信じて手術を任せるしかないわけです。そのとき僕は、どうしたってパターナリズムになってしまうと思いましたよ。
片山まさにそこが医療の核心なんです。パターナリズムは決して消えないし、消せるというのは幻想にすぎません。私自身、患者になったことも何度かありますが、そういうときに感じたのは、究極的にはこの医者を信じるのかどうか、すべてはそこにかかってくるのだという点です。担当医が、この方法こそ最善であると信じているならば私はそれに同意しよう。結果的にそれが正しくなかったとしても甘んじて受け入れる。結局はその一点に尽きるんです。だからこそ医者は、この原理を重く受け止めて、独善に陥らず、常に自戒して、拡大解釈を許さないように努めなければならない。
立花鼻高々の天狗になっている医者、自分を神様と勘違いしているような医者もたくさんいますからね(笑)。
片山ええ。そして、DBSをうつ病や強迫神経症などの精神疾患に応用することが患者の利益になるかどうか、その結論を下せるだけの知識を医者はまだ持ち得ていないと私は考えます。DBSの応用範囲をこれから広げていく上で、ポイントとなるのは「心の成り立ち」をきちんと考えておくことです。私は、人間の心には2種類のルーツがあると考えています。

一つは、心は決して自分の脳だけから作られるのではなく、他人の言葉、身体など、周囲のありとあらゆる環境からつくられているということです。もう一つは、周囲との関係性をつくりだそうという意欲です。意欲があり、社会に積極的に参加できるとき、人は心を豊かにすることができます。ここでいう「意欲」は「気分」と表現したほうがいいかもしれません。気分が落ち込んでいると、心を豊かにつくれないのです。
立花いわゆる、近うつ病症状ですね。
片山そうです。人間の根底にある気分の調整は、人間関係では決してつくれない。どこからくるのかは現在でもよくわかっていませんが、どこからかやってきて自分に宿る「気分」という心の要素  慎重に症例を重ねた上でその部分を調整することは許されるのではないかと私は考えています。当人にも他人にもコントロールできない「気分」こそが、社会的な活動をするために欠かせないエネルギーだからです。ただし、それ以上の「心」の部分を手術によって治療したり、操作できると考えるのはいかがなものでしょうか。
立花あくまでも向精神薬程度のはたらきを担うDBSならば是であると?
片山ええ。向精神薬の一種である抗うつ剤の役割もここにあるでしょう。DBSも同じような使い方をされるのであればいいと思っています。ただ、それ以上に踏み出すことが心配なのです。向精神薬の濫用を防ぐための規制がいろいろあるように、DBSにも細かいルールが必要になるでしょう。
立花技術的には、これからのDBSはどのような方向に進んでいくのでしょうか。
片山オンデマンド方式になっていくと思います。今は、あらかじめ医師がプログラムしたとおりにしか電気刺激を送ることができません。これをオンデマンド、すなわち体内に小さなコンピュータを入れ、患者さんの脳から出る電気信号をパルス発生器に直接入力するようなシステムにして、必要なときに必要な強さの電気刺激だけを与えるような自律的な仕組みのDBSに、次世代にはなるでしょう。
立花脳のはたらきをモニターする電極と、電気刺激を与える電極と二つの回路が必要になりますね。二つの回路で、脳が脳プラス人工回路系になる。
片山はい。これは単に失われた神経回路の代替物である以上に大きな意味があります。つまり、体内に設置されたコンピュータが脳内の電気信号を処理するだけでなく、そのコンピュータによって脳が再学習することにもつながるからです。脳とコンピュータが作用しあうという意味では「融合」といってもいいでしょう。
立花まさにそこなんです。僕は今、人間と機械の関係が新たな局面に突入したと感じています。これからは人間と機械を融合した、「ハイブリッド型」のサイボーグ人間がどんどん世の中に登場してくるでしょう。重要なことは単に肉体の一部を機械に置き換えるだけではなく、肉体や脳に機械を埋め込むことで、その人の脳もまた変化していくという点にあります。さらに言えば、埋め込まれた機械そのものが人間を機械系の一部として取り込む。これまで「マン・マシン系」として発展してきた文明が、いま「マン・マシン・ハイブリッド系」の文明に変化しようとしているということだと思います。

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