この特集について
番組の中で、馬に乗って颯爽と登場したロナルド・リトルさん。
この人がかつて重度のパーキンソン病だったとはとても信じられないくらいでした。
リトルさんはクリーブランド・クリニックのアリ・リザイ医師の脳深部刺激(DBS)療法によって、
パーキンソン病の症状を大きく緩和することができましたが、ここではパーキンソン病やDBS手術、
そしてその後の生活について立花隆がインタビューしたものを抜粋して掲載します(全2回)。
第1回
↑右手が動きません
立花 | パーキンソン病が発病したのはいつのことですか? |
リトル | 今から12年近く前、私が40歳の時でした。 |
立花 | 最初の症状は? |
リトル | 痺れ感です。右手の内側2本の指に出た痺れ感から始まったんです。 |
立花 | 2本の指。 |
リトル | ええ。そこから、体の他の部分に広がっていきました。ちくちくするようなしびれでした。 私はピアノを弾いて音楽を教える仕事をしていたんですが、思い通りに指が動かなくなったんです。 当初は手首の問題、手根管症候群ではないかと考えました。 |
立花 | なるほど。 |
リトル | 近所の神経科医を訪れ、いくつかのテストを受けたんですが、手根管症候群の可能性は除外されました。 しかしパーキンソン病とは診断されず、それから3年ほどは仕事を続けていました。 その間に右半身だけが次第に悪くなりました。 そこで再び同じ神経科医のもとへ行き、「何かが変です。この手が動かないんです」と言いました。 一日の終わりに近づくにつれ、いつも手の具合が悪くなり、しまいには自分の意思に全く反応しなくなっていったんです 。 その医師は私をクリーブランド・クリニックに紹介しました。 |
立花 | そこでパーキンソン病だと診断された? |
リトル | そうです。ただ、最初はパーキンソン症候群と診断されました。 |
立花 | 症候群? |
リトル | ええ、私の年齢のためです。 パーキンソン病は一般的に60代、70代の罹る病気なんです。 だからクリニックで最初に私の診察をしてくれたバーンズ先生は、40歳の私に向かってパーキンソン「病」だと告げられ なかったわけです。 |
薬の効き目が終わる直前、憂鬱感に襲われる
リトル | 診断後5年ほどは、パーキンソン病治療薬を規則正しく飲んでいました。 |
立花 | 症状はよくなりましたか? |
リトル | ええ、大きく緩和しました。 |
立花 | 服用量はどれくらいだったんですか? |
リトル | 1日に4回、4種類の治療薬を服用していました。 |
立花 | 合計16錠。 |
リトル | そうです。 特定の症状を緩和させるための薬品が投与され、複数の薬品が組み合わさって、大きな効果を発揮しました。しかし、パーキンソン病治療薬の最大の問題は、気分変動が起こることです。 非常に効果はあるのですが、薬の効き目が終わる直前に、憂鬱感が発生するんです。 |
前に倒れる
立花 | 憂鬱感ですか。いわゆるオン・オフ現象もありましたか? (註:オンとは「薬が効いて症状が軽くなった状態」、オフとは「薬が効かなくて症状がひどい状態」のこと。 オン・オフ現象とは「薬を飲む時間に関係なくオンとオフが急激に起きる現象」。 パーキンソン治療薬を長期間服用すると起こる) |
リトル | ええ、ありました。 非常に極端で、オフ状態のときは倒れることもありました。 |
立花 | 倒れる! どのように倒れるのですか? |
リトル | パーキンソン病に一般的に見られる「すくみ」と呼ばれる状態が発生するのです。 右足をズルズル引きずりながら、床に張り付いたように、足が動かなくなって、バランスが保てなくなるため、 前向きに転んでしまいます。 何の前触れもなく起こるんです。 |
立花 | 本当ですか。常に前向きなんですか? |
リトル | そうです。 |
立花 | 横向きや後ろ向きに倒れるときはない? |
リトル | 後ろに倒れると感じたことはありません。 パーキンソン病の症状の一つに「パーキンソン歩行」と呼ばれる現象があります。 前屈みの姿勢で足を引きずりながら歩くのです。 したがって、パーキンソン病の患者を見ていると常に前向きに倒れそうだという感じを受けます。 |
立花 | 転んだ際、けがを負ったことはありましたか? |
リトル | ええ、ですから常に転ばないよう精神的に、非常に気を強く保つ必要がありました。夜や暗闇は最悪です。 視界がないと、ほとんど即座に倒れてしまいます。DBS手術を受ける1年前は文字通り本当に最悪でした。 夜、トイレに行くときは妻のカレンに手伝ってもらうか、這っていくしかありませんでした。 |
立花 | 這って! |
リトル | ベッドから出て、手と膝で這いずりました。立ち上がると転んでしまうことが分かっていたからです。 手術前の最後の年は、ほとんど家に閉じこもっていました。震えが止まらず、転ぶことを恐れていたからです。 |
顔を見られたくない
リトル | それに、誰にも自分の顔を見られたくもありませんでした。 これもパーキンソン病一般に見られる症状の一つですが、仮面様顔貌と呼ばれる現象が見られました。 顔の片側、もしくは両側がしなだれ、口元もしなだれます。 つまり、顔の半分は笑っていても、もう半分はしなだれ状態になるのです。私は顔の右側がそうなってしまいました。 よだれも出ました。特に夜はひどかった。目もどんよりした目つきになり、頬も、唇の右側もしなだれました。 全く恥ずかしい状態でした。 |
立花 | それは、薬の副作用なのですか? |
リトル | ええ。副作用がパーキンソン治療薬の長期投与の一番の問題点なのです。 ただ、病気が悪化したために出てきた症状なのか、薬物治療による症状なのか見極めるのは非常に困難です。 |
立花 | なるほど。 |
リトル | 薬の副作用によって生じる問題に、運動異常があります。私には震えがありましたが、 これは定期的に発生するものだったので懸命に努力すればコントロールすることができました。 しかし、運動異常には太刀打ちできませんでした。多量の薬品を服用していたときには、腕が突然こんな風になりました(リトルさんは右腕を跳ね上げた)。足や頭も急に動きました。 |
立花 | そんなことがしょっちゅう起こったんですか? |
リトル | ええ。勝手に起こるので制御できませんでした。それで、外出をしなくなったんです。 外で食事をするのが怖かった。食べ物を一口かじると、フォークが手から落ちるんです。 とても恥ずかしかった。だから家に閉じこもっていました。そのような姿を他人に見せたくなかった。 |
立花 | ほんの3年前には、そのような状態だったのですね。 |
リトル | ええ。当時は、クリーブランド・クリニックのバーンズ先生がお辞めになったので、今度は同じクリーブランド・クリニックのアーメッド先生が私のかかりつけ医になりました。 アーメッド先生は薬を変更し、症状は少し和らぎましたが、服用量が多かったために運動異常は悪化し続けました。 |
パーキンソン病はすべてのエネルギーを消耗し尽くす
リトル | 外出が非常に限られるようになったので、私たちの夫婦生活は極端に変化しました。 カレンは私抜きで出かけることを拒むようになりました。私を一人にしたくなかったのです。 (この点について、後でカレンさんに訊いた。カレンさんは「窒息が怖かったので、いなくてはいけないと思いました。 主人はいなくてもよいと言ったんですが。 しかしパーキンソン病患者は、ものが飲み込めなくなって窒息で多くの人が死んでいます。 夫も、口の中で噛むことはできても飲み込めないことが頻繁にありました。 本当に怖いことがたくさん起きました」と語った。) 出かけることがあっても、非常に疲れました。パーキンソン病はすべてのエネルギーを消耗し尽くします。 慢性疲労症候群のようなものです。私はいつも疲れていました。夕方8時頃までには起きあがって動くことができなくなりました。 だから、どこかに出かける場合は夕方の早い時間でなければなりません。 パーティーに行っても最初に帰るのはいつも私たちでした。次第に動けなくなったからです。 長居しすぎると、誰かの助けが必要になりますし、もともと助けを求められない性分なのです。 2年前のクリスマスのころ、私の二人の息子が大学から実家に戻ってきました。 その際、地下の部屋で何人かの友人が遊びに来たんです。 それは息子のサッカー仲間で、私も全員と顔見知りでした。 私は彼らに挨拶をするために地下に行ったんですが、ちょっと長居をしすぎてしまった。 立ち上がった拍子に前向きに倒れてしまいました。もちろん、恥ずかしい思いをしました。 皆に見られながら、息子たちに上まで運んでもらわなければならなかったからです。 |
立花 | そうでしたか。2年前まで。 |
リトル | そのような状態がさらに6ヶ月続いた後、今からちょうど1年半までしょうか、 私はカレンに「次回の受診のとき、アーメッド先生が他の方法を提示してくれない場合は手術、外科的な処置ができないかどうか尋ねてみるつもりだ」と言いました。DBS手術に関する話を耳にしたからです。 |
立花 | どこで耳にしたのですか。 |
リトル | そのことについて書かれたものを読んでいました。ヨーロッパで行われたことがあり、高い成功率だということを知っていました。 |
(次回につづく)
準備中