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ニコレリス教授に聞く

2006年4月24日に放送されたNHKプレミアム10「立花隆が探る サイボーグの衝撃」。その中で「地球にいながら火星の表面を感じたい」という印象的な言葉を残したニコレリス教授に立花隆が取材しました。

神経細胞の集団を調べる

立花私は二日前、シェーピン教授(前節)をインタビューしました。シェーピン教授とは共同研究をされていますね。最初の共同研究はいつですか?
ニコレリス八九年です。私がブラジルからアメリカに渡ってきた年です。
立花お二方とも博士号を取得された後?
ニコレリスええ。
立花当時、あなた方は従来の神経科学の研究方法に疑問を持っていましたね。つまり、一つ一つの神経細胞を記録しても、何もわからないのではないか。個体群、集団(ポピュレーション)として見たときにはじめて、脳がわかるのではないか、と。このアイデアそのものは誰のものだったんですか。
ニコレリス神経細胞の集団を調べることを最初に考案したのはドナルド・ヘッド博士でした。しかし当時は技術がないので実験はできませんでした。

研究テーマ

立花あなたの当時の研究テーマは何だったんですか。
ニコレリス脳の中で触覚に関する情報がどう処理されているかを理解することでした。それで、ジョン(シェーピン)と一緒に、脳細胞の各集団ごとに触覚情報を記号化する研究を始めたんです。しかし、すぐに触覚だけではなく、運動神経系にも応用できることがわかったんです。現在では、この研究所で、味覚、記憶など他のすべての神経系の研究を一つの巨大なプログラムとして進めています。神経細胞の集団という観点で、複雑な脳の説明書を作りたい、それが私たちの研究目的です。

開発当初の障壁

立花開発当初、主な障壁となったことはありますか。
ニコレリス一番大きかったのは電極の開発です。そして神経細胞から信号を受信するための電子技術。当時はパソコンがあまり普及していませんでしたから、コンピュータの力にも頼れませんでした。また、得られたデータの分析も困難を極めました。だから、私たちは一からすべての技術を開発する必要があったんです。
立花なるほど。
ニコレリスもう一つの障壁は、私たちの手法が有効であることを、他の神経科学者たちに納得させることでした。立花さんが先ほどおっしゃったように、二〇年ほど前の当時ほとんどの神経科学者は、単一の神経細胞の記録をしていて、私たちのように神経細胞を集団として同時に記録するという研究にはとても懐疑的だったんです。不可能と思われていました。今では誰も異存を持っていませんが。

何千もの細胞の記録をする

立花最初に調べられた神経細胞の集団の数はいくつでしたか。
ニコレリス最初の実験では細胞二三個です。
立花二三個。
ニコレリスええ、はっきり覚えています。明け方四時に、実験が成功して二三個の細胞を同時に記録しました。当時はそれが最高数でしたね。しかし今や、何百もの細胞を同時に記録できます。
立花あなたの論文に、将来的には何千もの細胞の記録をすると書かれていましたね。
ニコレリスええ、それが私たちの目標です。現在よりも電極を改良できればと望んでいます。

器具を頭で考えるだけで操作できる

立花細胞数が増加するほど新しい発見がある?
ニコレリスその通りです。今年(二〇〇五年)だけでも新発見がありました。サルがロボットアームを第三の腕のように扱うようになったんです。サルの脳に電極を埋め、ロボットアームとつなぎます。最初は自分の腕を使ってロボットアームを動かすのですが、繰り返し操作をしているうちに、脳が、ロボットの腕をあたかも自分の体の一部のように取り扱いはじめるのです。そのときの神経細胞を観察してみると、なんと自分の本当の腕に反応するよりも強く機械の腕に反応しはじめたんです。サルはロボットと一体化できるようです。人間も人工物を自分の体の一部として一体化できると思います。それが、人間が道具を使える根元的な理由でしょう。脳が人工物を組み入れ、合体できる、ということです。
立花なるほど、それが義足、義手への応用につながるわけですか。
ニコレリスええ。私たちは神経細胞の集団がどう働くかに関する法則を発見したので、それを使って脳に直結させてコントロールできる運動機能の補助装置を作る、という夢に現実味が出てきたわけです。将来いつか、麻痺患者はいろいろな器具を単に頭で考えるだけで操作できるようになるかも知れません。

麻痺患者への応用は一〇年以内

立花この技術が実際に麻痺患者に使われるようになるのはいつ頃でしょうか。一〇年後、それとも二〇年後?
ニコレリス一〇年以内だと思います。
立花本当に?
ニコレリスええ、そう思います。このままのスピードで開発が進めば、ですね。それにいくつか技術的な飛躍があれば。
立花たとえば?
ニコレリスより多くの神経細胞からの同時記録する技術と、記録されたデータを長期間保存する技術、それに同じ細胞集団から、腕に関連する多くの異なる信号を取り出す技術です。もう一つ、とても重要なことは日本のロボット研究者の協力です。患者にとって自然な動作ができる精密な人工腕、人工足の開発に日本人の技術力は欠かせません。京都の川人光男教授(ATR研究所)は実に優れたDBというヒト型ロボットを作っています。私たちは今、国際ネットワークを確立して、麻痺患者の問題の解決に取り組んでいます。

患者の手の動きを再現する

立花アメリカでそのような先端的な臨床試験を行う場合はFDA(食料医薬品局)の許可が必要になりますね。
ニコレリスええ、以前、パーキンソン病の患者一一人に対して行った研究では、もちろんFDAの許可を取って臨床試験を行いました。
立花どんな研究だったんですか。
ニコレリス説明しましょう。米国では、パーキンソン病の患者に対しては、脳深部刺激療法(第3章参照)がすでに伝統的な治療法となっています。脳に電極を埋め込み、刺激を与えることで、パーキンソン病特有の震えなどの運動不全を抑える治療法です。その手術の際、脳に電極を埋め込むときに、私たちは患者の神経細胞の集団の記録を取るんです。その後、サルの実験で使った同じアルゴリズムで、その記録から運動情報を取り出せるかどうかを調べたところ、それができることがわかったんです。つまり、患者の手の動きを再現できたんです。

サルと同じアルゴリズムがヒトにも使える

立花サルと同じアルゴリズムが、ヒトにも使える?
ニコレリスええ、そうです。とても興味深いですね。
立花その場合のアルゴリズムというのは、具体的にはどんなものですか。
ニコレリス基本的には、運動皮質の異なる場所における神経細胞の活動の組み合わせ方法です。それがいわば脳言語です。それをロボットが理解できるデジタル言語に翻訳するわけです。

安全性をいかに確立するか

立花人間に応用する上で重要なことは安全性をいかに確立するか、ですね。
ニコレリスはい。すべての安全が確認されない限り、臨床研究には入れません。そして電極を埋め込むことで大きな利益が得られなければなりません。コスト対効果で、効果が高くなければやる意味がないのです。この二点で、臨床研究が行えると確信が得られるまで、私たちはあらゆる予防措置を執りながら、慎重に一歩一歩進んでいかなければならないのです。たとえば、脳に埋め込まれた電極から得られる神経細胞の信号は、ワイヤレスのインターフェースで受信する必要があります。そうしないと、感染リスクと、細胞組織損傷の恐れがあるからです。ですから、まず超小型電子技術を駆使して、ワイヤレス・インターフェースを開発する必要があります。長持ちしなければ意味がないんです。

埋め込み電極の交換

立花どれくらい?
ニコレリス少なくとも五、六年ですね。
立花五、六年後には埋め込み電極を交換するんですか?
ニコレリスその必要があるかも知れません。私たちがめざしているのは、心臓ペースメーカー程度に長持ちする素材を見つけることです。一度バイパス手術をすれば二度とする必要がないようなものをめざしています。
立花なるほど。麻痺患者への応用の他に、論文の中ではてんかん発作についても応用の可能性を示唆していますね。
ニコレリスええ。麻痺患者への応用と、基本的には同じ原理で、発作が始まる寸前に神経細胞の信号を読み取るんです。

人間にも応用できる

立花寸前、というのはどれくらい?
ニコレリス数百ミリセカンドから一秒です。
立花ほう。
ニコレリスネズミの場合にはそれで十分でした。迷走神経(脳幹から腹部にまで達する神経。運動神経、知覚神経を含む)で刺激を受ける部分に信号を送るんです。私たちは三叉神経を使いました。そこを刺激して発作を中断させるのです。てんかん持ちのネズミの発作数は減り、発作が起きたとしてもその継続時間は短縮されました。人間にも応用できると考えています。

会話能力を失った患者による言葉の伝達も可能になる

立花発作にはてんかん以外にもいろいろありますが、他の発作も抑えることができる?
ニコレリスいろいろな可能性があります。たとえば卒中患者は会話能力を失いますが、ほんの少しでも脳からスピーチ・パターンの信号を取り出すことができれば、この信号から合成音を作り出すこともできます。それで患者は言葉を伝達することができる。
立花それはすごいですね。将来の世界はずいぶん今と違ったものになりそうですね。
ニコレリスええ、将来がとても楽しみです。

「自分自身」を拡大できる

立花私は六五歳だから、たぶん遅いかな。
ニコレリスいやいや大丈夫、時間はありますよ。いつかこの技術が本当の意味で安全になれば、応用範囲はもっと広がるでしょう。脳を使ってコンピュータを操作して情報交換できるようになるかもしれません。つい先日、私は論文の中で、自分自身という感覚さえ拡大することができる、と述べました。つまり、眼鏡や服、コンピュータ、電話、ケータイなどの器具と自分を合体させることで、「自分自身」を拡大できるということです。サッカーの一流プレイヤーにとって、ボールは彼自身の足の一部であり遺失物ではありません。足の延長です。だからこそ非常に巧みに扱えるんです。ピアニストやバイオリン奏者もそうです。彼らは楽器を自分の体の一部と見なしています。かつて有名なピアニストに、演奏時にどう感じているかを訊ねたことがあります。答えは「何も感じません。無意識で、自分自身です」というものでした。ピアノがその人の体の一部になるんです。

頭の中で考えるだけで火星表面を動き回るロボットを操縦する

立花あなたが実験で使っているサルは、脳から直接ロボットアームを動かすことができますが、そのサルにとって、ロボットアームはまさに自分の体の一部なんでしょうね。
ニコレリスそうだと思います。もしサルがしゃべれたら一番訊いてみたいのが、「そのロボットアームでものをつかむときどう感じますか。自分の腕のようですか。第三の腕のようですか」ということです。私の夢は、この地球上にいて、単に頭の中で考えるだけで、火星表面を動き回るロボットを操縦することです。ロボットから直接脳に情報を受け取り、火星表面を歩く感触を得るんです。いつの日になるかわかりませんが、きっとできる日が来ると思います。

人間の新しい定義

立花あなた方は、六〇〇マイル離れたMITにあるロボットアームを、ここにいるサルの脳によって遠隔操作する、という実験に成功しましたが、それをサルが知ったら……。
ニコレリス誇りに思うでしょうね(笑)。
立花「腕がこんなに伸びた!」っていうかも知れませんね(笑)。私は、現在進行しつつある神経科学の技術の将来を見たとき、人間の新しい定義が必要になってくると考えています。人間とは何か、あなたは新たな定義付けができるとお考えですか。
ニコレリス人間とは何か、ですか。まだわかりませんが、少しずつわかってくると思います。脳はその問いを発することができる唯一の生物学的装置ですから、哲学的な興味がそそられます。脳の謎を解けば、私たちが何であるかもわかってくるでしょう

脳だけが語れる物語

立花脳が、人間とは何かを探る上での鍵、ですか。
ニコレリスそうだと思います。ある人は遺伝子が鍵であるといいます。そこには様々な議論がありますが、脳は人生を通じて、万物の内的なイメージを作り出します。両親、親戚、友人、世界で何が起きているのか、人々の意見、認識……。そうしたものが私たち一人一人が何者であるかを決めます。
立花脳は常に変化していきます。可塑性が脳の本質です。
ニコレリスその通りです。脳は強力な装置で、常に変化しています。神経細胞同士の伝達方法や関係が常に変化しているのです。それが、経験を積むということです。すべての知識、経験を脳に蓄えます。だから、私はいつか脳の情報をダウンロードできる装置を発明したい。私たち一人一人の脳には、ユニークな物語が詰まっています。その物語は、以前には決して起こらなかった一人の人間についての物語です。脳だけが語れる物語、一冊の本なのです。他人とは違う、ただ一つの素晴らしい本なのです。

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