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日本における科学技術政策決定システム

―――ちなみに、日本学術振興会と科学技術振興機構(JST)の規模の割合はどのくらいなんですか?

科学研究費の規模

 日本学術振興会と文部科学省本省のやっているものと両方ありますが・・・。科学研究費補助金というものがありまして、これがいま大体二千億くらいだったと記憶しています。

 科学技術振興機構の方はいくら位ですかね・・・。正確には覚えていませんが、額はそれ程変わらないと思います。科学研究費で育っていった人たちが、JSTの事業の対象になるわけですから、対象者の数は圧倒的にJSTの方は少ない。従って一人当たりの金額は大きくなる。

 大体の先生方はこうやって大きくなったプロジェクトをもつとともに、もう一つ別の萌芽的な研究を始めるというケースが多いようですし、アメリカの超一流の学者の中にはそういう形で数億単位のお金を使って、スペースもたぶんこの建物の1フロア全体をラボとして使い、ポスドクのフェローがまた数十人、そういう規模でいろいろなフェーズの研究を並行的にやっている人がいるわけです。

 もちろん人によって色々あるとは思いますけども、次世代の研究者を育てるのは基本的に大学なんですね。基礎研究をやっている所で本当に、研究者魂も含めて研究者が育ってくる。こうして育った人たちが大学だけではなく国立研究所、企業でも研究していくということになるわけです。

 基礎研究は研究であると同時に、教育的な活動でもあるという風に私は思っております。

 そういえば、今日もある会合でうちの研究所の先生方と文科省の科学官の方とで懇談会があったのですが、そういうところでもいま申しましたような話題が出ましたね。

教養教育について

 実は学術振興会がやっている事業のひとつで、半ば提案公募、日本学術振興会としてはいわばおずおずと始めた事業のひとつとして人文社会科学の振興に関する事業というのがあります。

 それに「教養教育の再構築」というプロジェクトがひとつ採択されました。

 これは新潟大学の先生が代表を務めておりまして、ホームページもありますので詳しくはそちらをご覧ください。(ホームページはこちらです。)

 鈴木佳秀さんという、日本でほとんど他にいないと思う、旧約聖書学、文献学者の方が代表です。 まあその人が代表になって、しかし下には理科系の先生方がついて動いている。もちろん、人文系の人も、社会科学系の人も入っているし、技術屋さんも入っている。

 「教養って何だろう」という所から出発すると、要するに種種雑多な知識を詰め込む・持つということが教養なのではないと私は思います。教養について話せといわれればまた二時間でも三時間でも話せますがこのぐらいにしておきましょう(笑)。

 結局、それぞれ人々は、研究者・科学者でなくとも、それぞれ自分の仕事をもって生きていく訳ですが、いずれにしても、投票権をもつ国民として、あるいは市民社会の構成員として責任を持って判断をしなければならない立場にあるわけですね。

 最低限たとえば、投票所へ行って誰々に投票する、あるいは場合によっては皆さん、裁判員にあたってしまうかもしれない。

 そういう役目を果たす能力を持つということが教養の中心的な部分ではないか、というのが我々の大方の共通認識でありまして、それではその考え方・コンセプトにしたがってどのような教育システム、あるいはコンテンツ、あるいは具体的な教育の方法がありうるのかが我々の今後の課題でもあります。

 教養の問題はやはり本当に大事なものでありまして、多分いま教養学部一年二年の皆さんが受けていらっしゃる教養教育の基本的な枠組みは、ちょうど私が副学長のときに行った改革の結果と基本的には変わっていないかと思います。

 それでかなり鮮明に覚えているんですけれども、まだあの時は私自身もそこまで教養教育とか教養というものについてきっちり自分の頭が整理できていなかったんですね。お恥ずかしい話ですが。

 まあ私もその、「教養教育の再構築」を考えるメンバーの中に入れてもらうことができ、まだまだこれからもこの問題について考えていかなければならないな、と思っております。

質疑応答その1(2):◆終◆

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