SCImates α2は機能を停止しています。

日本における科学技術政策決定システム

以下は、石井紫郎氏の講演後に行われた質疑応答の様子です。

立花隆からの質問

―――三点ほどお伺いします。

一つはですね、およそ日本の科学技術研究費の総額のその、トレンドについてです。

 橋本内閣以来、科学技術創造立国的な考えが提示されて、第一期・第二期と特にこの総額が上がってきて第三期になったあたりから、総額抑制的な逆のトレンドが出てきましたね。それが日本の科学技術のこれからの研究体制にどういう影響を与えているのか、そのあたりのことを先生はどうお考えですか。これがまず一点。

―――それからもう一つはですね、先程アメリカと日米比較を拝見したんですけれども、アメリカと日本のシステムを対照したときによく関係者が言うように、あれは研究費の配分の問題だと思うんですね。 アメリカでは透明性がいろんな意味で保たれているのに対して、日本では科学官を通じて現場の研究者の気持ちを吸い上げるという方向はあるんだけれども、科学官の数そのものが日本のシステムではすごく少ないですよね。

 それからその、研究費を出せない場合はちゃんとその理由を返すわけですね、アメリカは。ところが日本は、なぜこっちに研究費を出さないのかという理由にいちいち言及しないから、そういうのがよくわからないまま、つまり誰がどこで適不適 を判断しているのかよくわからないまま決まっている。

 透明性の問題の、根本的な関係はどこにあるのか。ここら辺のことを先生はどうお考えなのか。これが二点目です。

―――三点目はですね、アメリカで研究費の問題を考えたときに、ものすごく大きな枠を握っているもののひとつがDARPAであり、これは国防総省の研究機構です。あの枠が約三千億(円)ありますよね。

 で、日本の場合に、僕はそこまでよくわかんないのですが、多少それに防衛庁から研究現場に出ている金があるのか。それともそこは防衛庁とは別にやられているのか。

 そしてもし、憲法改正が行われて、九条の問題がどういう風になるかはわかりませんけれども要するにその、国防省みたいなものができたときに、DARPA的な仕組みの流れというのが日本でも行われうる可能性があるのか。その辺のお話を伺いたい。これが三点目です。

研究費総額のトレンドと財務省

 三つの質問をいただきました。まず最初の質問についてですが、どんどん科学政策費が伸びてきてストップがかかり、これから どうなるかという話は確かにあります。

 面白いことに、最近は自民党が総合技術会議に対してですね、叱咤激励をしているらしいんですね。 「科学技術のお金をどんどん増やそうっていうのがお前たちの役目だろう」みたいなお叱りがとんでいるというわけです。

 つまり、この行政の世界に居りますと、財務省的な思考がどんどん浸透してくるわけです。

 行政の中にいると、だんだんそのように染まってくるのが自分でもわかります。 これ以上いってみたところで、無理だっていうことがだんだんとわかってくる。 最初は元気よくやっているわけですが、後になってくるとそのうちにこう、なんていうんでしょうか・・・一生懸命それは注意してきましたけれども、だんだん自分で変わってくるという感じがするわけです。 「今の財政状態の中でどうしたらいいのか」という思考になってくる。

 口ではですね、要するに科学技術をちゃんとやれば、財政はよくなる、とはいうけれども、実際にそれじゃあ、それで財務省が「おお」と納得するのかということですね。

 財務省はこれに対してコミットするという姿勢は持っていない。ですから、これがさっきの日米比較の問題になるわけです。

 たとえば日本学術振興会に相当するNSFが各省と横並びの関係にあるのに対して、日本は各省の下にあるわけで。 それから、さっき言いましたように、NSTCが諮問委員会(PCAST)と連絡を取るというしくみになっているわけですから。 日本の各省の上に財務省っていうのがあってですね。そこが「だめ」っていえば「だめ」なんですよ。

研究費配分のシステムの問題点

 二番目のファンディングの透明性の問題ですけれども、たとえばNSFなんかに研究費を申請するとどういうふうになるかって言いますと、日本の場合ですと、申請してそれが受け入れられたか、落とされたかという二者択一という形です。 一方、アメリカの場合ですと、当落のボーダーラインの所にある申請に対しては、ここのところをこういう風に直したらどうですか、といったコメントをつけて返してくる。で、結局、最後まで、折り合わないと落とされる。

 だからこのプロセスがあるために、落とされたほうも、向こうの言っていることに賛成はできないし、自分のほうがいい研究計画を立てたんだ、と思っていても、まあそのプロセスがあることによって、随分助けられるわけですね。

 ところがその、一回ぽっきりで通った、通らないということで片付けられるとしたらこうはいかない。

 じゃあ、ただちに日本もアメリカ的な形にもって行いけるかっていいますと、決定的に資源が足りない。科学研究費補助金っていうのは今、今年の申請が終わったばかりですけど、去年に比べて約一万件増えている。八万件が九万件になったわけです。

 で、その九万件の申請をチェックするための第一段審査の審査員が何人かというと、四千人ぐらいです。そしてその上に第二段審査委員会というものがありまして、その委員数は約600で、分野別に分かれて、合議で決めている。

 このように二段構えで、それなりに慎重な審査をしているのですが、これだと、アメリカのような申請者と審査員の間のやりとりはできません。

 それを可能にするには、根本的にシステムを変えなくてはなりません。

 アメリカの場合だと、一通の申請書に対して三人なら三人、五人なら五人のレフェリーを決めまして、そこにいきなり申請書を送るわけです。そしてその評点を受け取ったら今度はそれを得点順に並べて、program officerが基本的には決めるわけです。申請者とのやりとりもやります。 program officerっていうのは、三年なら三年大学から出向して、その間その仕事に専念する大学の先生たちです。 ですから、良くも悪くもその人が責任を持ってやるわけだし、この分野についてはどのprogram officerが対応するかっていうのが公表されています。

 しかし日本はそうではなくて、あくまでも覆面の審査員(審査終了後に公表する)が百件、二百件という審査書を相対評価し、その点を足し合わせる。 そうやって上から順番に並べた表をもとにして合議はしますけれども、この研究計画はここを修正すればよくなるんだけど・・・というような議論をすることが可能な仕組みになっていない。

 これをアメリカ型にするためには申請件数が減らないといけない。

 今の申請件数を前提すれば、十万人オーダーの審査員が必要になると思われます。その分を事務的に処理するだけの能力が学術振興会にはない。 職員が百人しかいないからです。

 現在でさえ、聞くも涙、見るも涙の状態です。これから半年間は。つまり、先程言いました科研費の二千億円という数字、これを職員の数で割った金額はダントツで日本が多いんですよ。それだけpoorな仕組みしかできていない。

 ですから、どうしてもさっき言いましたように、審査員のほうに、たとえば、工学の中の基礎工学なら基礎工学という題目に、六人の審査員を当てておいて、そのグループで審査をしてもらうことになる。で、六人の人はそれぞれ、五点、四点、三点、二点、一点、と点をつける。それを足し合わせて、表を作って、それで第二次審査に入る。そういう形でやるのが精一杯。

 で、いちいち、なんで落としたという説明は無理です。なぜなら採択されるのは、せいぜい一万件に過ぎない。ですから、九万人のうち八万人は不満を持つわけです。

 その人たちにクレームをつけて来られたらとても対応しきれない。そういう、日本全体がそうなんですけれども、仕組みがちゃちにできてて、そのままの体制で研究費だけが増えて来た。

 学術振興会はますます火の車になってきましてね。日本学術振興会のprogram officer、研究員と呼んでいるのは、アメリカで言う、program officerをモデルにしている仕組みなんですけれども、自分たちが審査することにまで手を出したらとてもじゃないがやっていけない。審査する人を選ぶので精一杯、というのが現状であります。ぼやきみたいなものですが。

軍事研究の予算

 それから三番目の問題ですが、軍事予算については本当にわれわれもわからないのです。大学の先生のところに絶対に渡ってないかっていうとそれは・・・ない、と思いたいところですけれども。

 これから憲法改正の問題があがってきたときに、国防の、軍事って言いますと強く響きますけれども、国防のために研究をやってなぜいけないのかという声が出てくると思うんですね。 実際、東大の理学部もかつては軍事的研究開発をやっていたんですから。これから絶対にそういうことが二度と起こらないって言い切れるのか。

教育の予算

 あともうひとつ、アメリカはエネルギー省のお金がずいぶんと大きい。いろいろなソースがある。

 そもそも高等教育に費やされる国家予算の比率が、アメリカはGDP比で1%、ヨーロッパ諸国は大体0.8%、日本が0.5%。ですから、この構造改革をきちんとやらないといけない。

 やはり高等教育に費やされる国家予算の比率をアメリカに近づけていくべきでしょう。きちんとした研究がなされている研究室の先生のところでいい研究者が育つ、という、きちんとした教育システムを確立するためのお金ですから。

 そもそも今のシステムでは大学院の教育のための予算って無いんですよ。 ですから、大学の先生たちは大学院生をどうやって教育するのかというと、科学研究費を取ってくるわけですよ。そのお金が無いと大学院の人たちに実験をさせられない、ということになります。これが先程述べた科研費申請の増加の一因になっている。

 アメリカの大学のシステムというのは大学の先生が全員研究をやっているかというと、実はそうでもないわけでして、研究者としてやっていこう、とみんな始めるわけだけど、やっぱりお金がもらえない、いい論文をかけないという状況になると、結局その人たちは教育専任の先生になってしまう。

 それで、夏休みにもサマースクールの講師をやる。たとえば、地方の大学、地方って言うのもおかしいですけど、中西部の大学の人たちでも、夏ハーバードにサマースクールで呼んでもらうことがある。二年、三年と行くと一つのキャリアになりますから。

 つまり、教育者としてきちんとやり、それが評価されるという道が一つ開けますと、ひとつの分化が起きるわけですね。そうすると、教育する人と研究する人の数が半々だとすると、科学費の申請書も九万件から五万件に減るわけです。

 今、日本ではまったく逆のトレンドが存在するわけでして。 つまり、大学の先生で学生たちを楽しく教えている人たちも今までたくさんいたのだけれども、その人たちも「科研費とってこい」といわれるようになった。

 まあ、逆のトレンドなんですよね。今まで事実上存在していた、その、二極分化がぼやけてきている、科研費を取れないようでは、まともな大学教師でないという形で。

 「科学技術創造立国」という概念の下で進めていくのであれば、防衛費の予算比率は1%あるのだから、少なくとも1%以上は科学技術創造立国のためのお金にかけないと、「立国」したことにならないんじゃないかと僕は思うんですけど。

 まあ、仮にいまが二十二兆円ですか、五年で割れば一年当たり四兆いくらでしかかけられていない。しかも、この数字自体が怪しい数字なんですね。

 といいますのは、大学の予算については文科系の予算は全部はずして、理科系の予算だけについてを、半分は教育で半分は研究だという、形式的な図式で半分に割った数字が大学にいく科学技術関係予算だという形ではじき出されているわけですね。そういう、数字のマジックがはたらいている。

 要するに、大学の理科系に対して払っている予算の半分を科学技術研究費の計算に入れている。

 だから二十二兆円という数字になったからといっても、事務補助のアルバイト人件費、光熱水費、清掃委託費等々がそこから支出されるわけですから、実際に科学の研究に使われた数字はそれよりずっと少ないはずです。本当に積み上げた数字とは決していえないんです。

 ですから、私はやっぱり、さしあたって高等教育、人材を育てる、という一つの戦略を立てて、純粋に大学教育に使われるお金をとってくる工夫があってもいいんじゃないかと思うんですが。

 先程のお話で、科学技術研究費の公募型の配分の仕組みよりもはるかに大きいのが、各省庁からの概算要求の数字ですよね。

 そもそも各省庁の内部で、どういうふうにその数字が積みあがってくるかというその過程のほうが、科研費の審査なんかよりもはるかに重大といいますか、一番不透明でしょう。

 「日本の科学研究費がどこでどのように決まっているのかよくわからない」とサイエンスコミュニティーの人たちがみんな言うのは、そこの部分ですよね。

 要するに、一応その科学官みたいのがいて、サイエンスコミュニティーの意見を吸い上げるという形はとっているけれども、実際には官僚が自分たちの頭で考えたプロジェクト、計画を中心にして概算要求をしているということにならないでしょうか。

 要するにその、露骨に言うと、自分たちにとって耳障りなことを言わない先生を相談相手に選んでいる。

 まあ、自分のことを言うのもあれですけど、私も一時期、旧文部省高等教育部門の審議会の委員になりましたが、一期二年でクビになりましたね。

 で、学術国際部門のほうは、なんていうか、お気に召したみたいで。いまだに続いているという。十何年続いていますけど。

 まあ、国立大学法人化のときにも、高等教育局のお役人とは相当激しいやりあいがあったし、同じ文科省でも部門によって相性が全く違います。

 僕も科学官をやった先生を何人か知っているのですが、皆さん「いろんなことは言ったけれども、それがどう反映されているか全然わからない」と言いますよね。だから、形式的にはいろいろ聞くんだけど、最後は、官僚が決めてしまう・・・。

 官僚が概算要求の際、これを「弾込め」と言うんですけど、科学官の意見をうかがう。要するに弾を込めるときに先生たちを使うわけです。込めた弾がどこに飛んでいこうとも構いはしない。当たったか、当たらなかったかの問題じゃなくて、どれだけ金を取ってきて立場をこなすことができるかというのが問題なのです。その弾込めだけに使われている限り、どうしようもない。

―――日本の科学技術研究費の合理的な配分というか、透明性を改善するためのプランを作るのに、何人かの人に権限があるんですか。

構造改革

 いや、全然ありません。ですから、我々の学術システム研究センターもその一つになるべきなんです。

 結局権限を与えるというか、それを取り巻く環境がさっき言いましたように、非常にちゃちなわけですから、本当に何かプランを立ててやろうとしても手も足もでない。

 総合科学技術会議だって、さっき言いましたように、百人の事務局のスタッフがついていると申しましたが、その半分くらいは各分野の専門家が来ている。

 課長クラスに相当する、参事官というものが居りまして、その下に参事官補佐っていうのが四人か五人。それが大体大学の助教授クラスの先生。気の毒にその下に誰もいない。

 大学にいればおそらく秘書のような方が雑務をいろいろやってくれるので、自分はコピーなんかとったこともない。そういう人たちが「コピーしろ」と言われて・・・。

 つまり、頭でっかちで、いつも日本の組織っていうのはそうなんですけれども。大学自体、教授がいるけれども、技官がいないというのが問題で。

 要するに大きなピラミッド型で、先生は先生のやることをやる。またはそうなるように向けて、フェローを募る。あるいは、それをサポートするテクニシャンのポジションがある。そういう、軍隊組織で言えば、下士官や兵士に相当する部分が、日本の大学は決定的に欠けている。

 総合科学技術会議自体、環境部分でも、立派なしくみが確かにある。

 化学物質リスク管理についてやっている人もいれば、メコン河の研究をやっている人もいる。そのレベルのことで話はいくらでも機能している。

 ところが、どうやって財務省と渡り合うかって言うと、そもそも総合科学会議自体、そういう仕事をやる体制になっていないわけですから。S、A、B、Cと評価を付けるといっても、本当に正確な評価をするだけの陣立てになっていない。

 日本の社会全体の構造の問題で、構造改革をこっちのほうでやってもらいたいくらいなんですけどね。

質疑応答その2: ◆終◆

このページに寄せられたコメントとトラックバック

*コメント*トラックバック

準備中

寄せられたトラックバックはありません。

このページについて