宇宙の常識・地上の常識
立花 | 野口さんはシャトルの一号機(コロンビア)打ち上げを見て、 宇宙飛行士になろうと決心されたのが、十六歳でしょ? |
野口 | 十六歳です。はい。 |
立花 | それで、そのチャレンジャー爆発を見たのは十八歳ですか、十九歳? |
野口 | 二十歳になっていました。 立花さんの『宇宙からの帰還』(中央公論新社)を高校三年生のときに読みました。 いまでも実家にその初版を大事に取ってあります。 |
立花 | ああ、それはどうも(笑)。 |
野口 | いまでも折に触れてよく読んでます。 その話は詳しくは後述しますが、年齢的な体験について言うに留めれば 高校一年生のときに一号機打ち上げがあって、高校三年生になって進路を考える時期に『宇宙からの帰還』を読んだことで、宇宙飛行士っていう仕事があり、そういう仕事をする人間がいるんだということを知りました。 |
立花 | でも、普通だったらそういう事故(チャレンジャー事故)を見たら心が揺らぐと思うのですが、 そういうことはなかったんですか? |
野口 | 私はあまり揺らがなかったんですね(笑)。 宇宙を知りたい、行きたいということで、 そのまま大学に進学しました。 |
立花 | なぜ事故のことをいうかと言いますと、 チャレンジャー爆発のときは、向井千秋さんがとても大きなショックを受けたようだったからなんです。 向井さんは毛利さんや土井隆雄さんとともに八五年八月、JAXAからPS(搭乗科学技術者)に選定され訓練をはじめます。 チャレンジャー爆発はこの翌年のことです。 ご本人は医者として、宇宙にライフサイエンス(宇宙生理学、宇宙生物学、放射性生物学など)や宇宙医学(心臓血管系、自律神経系、骨・筋肉の代謝)の研究をしに行くんだというスタンスが非常に明確でしたから、 冒険者であったり、危険を冒していくというわけではなく、 仕事場として、宇宙環境を研究したいという、 あくまでも医者としての立場だったわけです。 ライフサイエンスや宇宙医学に関する研究をするんだという立場。 その乗り物が、事故を起こしたり爆発するようなものでは困るっていうのは、きわめて本音に近いのではないでしょうか。 たしかあの日、向井さんはちらっとメディアで、 「徹夜でテレビとFENのニュースを聞いた。信じられなかった」 と洩らしています。 「スペースシャトルの安全性を信じていたから、悪夢であってほしいと思った。 我々は冒険者ではなく、搭乗科学者です。 死んでしまっては役に立たない。 原因が究明され、安全が確保されなければ、現時点では乗ろうと思わない……」 とも言っています。 |
野口 | ああ、そうですか。 |
立花 | それが私にはとても強く印象に残っていました。 その向井さんが九四年七月にコロンビアに搭乗しました。 そのフライトの直前に、私は向井さんにアメリカでインタビューしたことがあるんです。 彼女のその心境とか、フライトを前にして、ああいう事故があったし不安ではありませんかとか、 万が一事故が起きて、死ぬときのことを考えますか、とかね。 そういう質問をしたんですよ。 そうしたら、JAXA――当時のNASDA――の人たちがいて、そんな質問を宇宙飛行士にするのは初めてだって、驚かれてね(笑)。 でも、向井さんはものすごくきれいに答えてくれました。 その答えにくい質問にね。 私は宇宙に行くことはとても大きなリスクを背負うことだと考えています。 宇宙に踏み出すということは一歩誤れば大きなリスク=死が取り巻くことでもあることを確認したかったんです。 |
野口 | はい。 |
立花 | だから、その間におそらくものすごい大きな心境の変化があって、精神的に安定してましたね。 |
野口 | 私はそれは知らなかったですけど、 向井さんのフライトの頃はNASAの訓練のなかで安定していた時期だったのかも知れません。 フライトの直前でああいう事故が起きて、次に自分が乗るっていったときに 可能性として、自分は帰ってこないかもしれない、 自分が乗るロケットに似たようなことが起きるかもしれないっていうのは、当然考えます。 日本で、「想定内、想定外」というのが流行語らしいですが、 立花さんのご質問は明らかに宇宙飛行士には「想定内」なんです。 自分が帰還しないというのは、考えうるシナリオの一つです。 ではそのときに向かって、あるいはそうした可能性に対して、今できることは何なのか、とか、 それはずいぶん自分自身のなかで向き合って考えることはあります。 そういう意味で向井さんも、宇宙から帰還することが任務、目的というのが、わかったうえで、可能性としていくつか考えられる結末の一つとして、 帰還できないかもしれないことも冷静に見ることができたんじゃないでしょうか。 |
立花 | 野口さんも内外のインタビューで似たような質問をいろいろされて、実に見事に答えてらっしゃいましたよね。 |
野口 | ありがとうございます。 そういう意味では、コロンビア事故から二年半空白があったのは、いいことだったと思っています。 事故の半年後でしたら、私はともかく、家族が冷静に送り出せなかったと思います。 あの事故の印象が強烈すぎて。 しかし、二年半待つ間に、まぁ、いい意味でも悪い意味でも、事故が過去になっていきました。 風化ではないですけど、冷静に受け入れられるようになった。 コロンビア事故からNASAは大きな教訓を得てきました。 それは単に「今度のディスカバリーは大丈夫」というレベルに止まらず、さらにその後いろいろ見聞する、感じるなかで、 「コロンビアとディスカバリーは違うミッションなんだ」。 そういうことが自然に感得できるようになったのが家族の変化です。 |
立花 | もう少し事故にこだわりますと、私はコロンビアのときの事故の報告書は読んでいませんが、 チャレンジャーの爆発事故の報告書はよく読んだんです。 その報告書にリチャード・ファインマンという物理学者がアペンディックスFという詳細なレポートを付け加えています。 世界中の宇宙好きが読んでいるのに、なぜか日本では翻訳されていない(笑)。 あれを読んでみると、なんとなくコロンビア事故の遠因がわかるように思いました。 組織の問題ですとかね……。 |
野口 | はい。チャレンジャー事故とコロンビア爆発の間には一七年の時が流れているんですが、 あのレポートを見ると、そのまま組織としての判断が硬直化したままのような印象でした。 |
立花 | 変な喩えですが、今起きているマンションの耐震偽造問題。 あれと似てはいないか、と思います。 ああいう偽造問題を起こす人たちは経済設計と口では唱えながら、 「皆やっていることだ」という認識がどこかにある。 実際に今まで幸いにもそこまで大きな地震がなかったから、安全実績が蓄積されてしまう。 そうするとどこかで意識がずれていき、基準を守らなくなるんですね。 明るみにでてよかったと思っています。 |
野口 | 安全神話に守られているうち、判断が硬直化するという意味ですね。 |
立花 | そうです。 NASAにもそういう面があったのではなかったか、ということです。 ことにロケットであれば、ごく小さなインシデントでも致命傷とはさせないために、 精密さのうえに精密さを重ねるような、チェックが要るんだと思いました。 |
(このあと立花氏は野口氏にディスカバリーの機体構造について、フライトについて、ミッションについて詳細な質問をおこない、野口氏はディスカバリーの縮小模型を使いながら丁寧な説明をした)
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