チューリング・テスト
アラン・チューリング(1912〜1954)はイギリスの数学者。コンピュータの始祖とも言えるチューリング・マシンを開発した。第二次世界大戦中は暗号解読などで活躍した。計算機科学研究の父と言われる。
チューリングの考案したチューリング・テストとは、「機械(人工知能)がどれだけ知能を持っているか」を調べるためのテストである。チューリングの提唱するテストの方法は、以下の通り。
1.テストする機械(コンピュータ)Aと本物の人間B、そして判定員Cを、それぞれ隔離された部屋に入れる。判定員は人間と機械が部屋にいるのは知っているが、どちらの部屋に機械が入っているか知らされていない。
2.判定員はキーボードを使い、AとBへ質問をする。ここで機械Aはできるだけ人間が話しているふりをして答える。
3.会話を通して判定員はどちらが人間でどちらが機械かを判別する。ここで人間と機械を区別できなければ、その機械は人間と同じように知能を持って考えているとみなしてよい。
図1にその様子を表す。つまり、コンピュータは「自分は人間だ」と思わせるように相手をだまさなくてはいけない。
図1
発表された当時、このテストは「人工知能とは何か」という議論にひとつの解答を提示した画期的なものであった。しかし、このテストで本当に機械の知能を測れるのだろうか。人間と同じように会話できれば、本当にその機械は「人間と同じ」知能を持っていると考えてよいのだろうか?
この問題について、アメリカの哲学者ジョン・サールは「中国語の部屋」という例を出し、チューリング・テストに対し疑問を投げかけている。
中国語を全く知らない人間がチューリング・テストの部屋に入れられているとしよう。ここで、部屋に入る前に彼には中国語で書かれた「中国語辞典」を渡しておく。その本にはあらゆる質問に対して、適切な答え方が記してある。部屋に入った彼は、その辞典を調べながら質問に答えていく。もちろん彼は中国語を知らないので、質問と同じ中国文字の列を探し、そこにある答えをそのままキーボードに打ち込むだけである。しかし、判定員はそれを知らないため、彼が中国語の質問に対し完全な回答をしていると思ってしまう。つまり、彼は中国語を理解していないにも関わらず、判定員は彼が中国語を理解していると判断してしまうのである。
図2
ここで人間を機械に置き換えてみると、この機械が知能を持っているわけではなく、質問に対して適切な回答を出すプログラムに過ぎないということが分かるであろう。つまり、チューリング・テストでは機械の「会話の対応能力」を測ることができるかも知れないが、それによって機械が知能を持っているかどうかまでは判別できないというのがサールの反論である。
「中国語の部屋」によって、チューリング・テストは無意味なものであると否定されたわけではない。むしろチューリング・テストによって、知能があるかどうか、を会話によるコミュニケーションによって判断するところに問題がある、ということが分かったのである。
「イノセンス」「攻殻機動隊」シリーズの世界では、高度にネット化された社会が舞台であり、街にはチューリング・テストを余裕でパスするようなアンドロイドたちであふれかえっている。人間の義体化も進み、機械との隔たりも無くなっている。
現代において、我々とロボットはまだはっきりと区別できる存在である。その境が無視できるほどあいまいになった時、一体何が起こるのであろうか。
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