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6 ネットのこれから

押井僕は多少、仕方がないのではないかと思っている節もありますね。人間という存在がもっているアンバランスというものは、サイボーグになったとしても結局は解消されないのではないかという。だからこそ犬なんだと。だからこそ動物が重要なんだという。人類の他者って動物しかないのですよ。もしかしたら杉の大木に結線したい人もいるかもしれないし、地球それ自身に結線したいという人間だっていたっておかしくない、今それを実際にしようとしている人もいるわけですよね。だからそれと同じように、人間がスタンド・アローンである限り、それは最小限解消されないだろうと。僕は取り敢えず犬と言っているけれども。
立花いろいろな形でいろいろなレベルのネットワークが広がることによって、コンピュータの以前の社会にすでにネットワーク現象という広がっていたんだけれども、どんどんコンピュータの機能がステップアップするに従って、なんていいますか、人間の個々の存在がスタンド・アローン的な存在じゃなくて、「ネットワーク内存在」的なものに、今既にどんどん変わってね。
押井なっていますね。
立花その中で、どうもやっぱりコア、自分の個を保ちたいみたいなところがあって、恋愛とかも全部個と個の間に起きていて、ネットワークでみんな一緒にという、そういうあれじゃないのですよね。そうすると、そういう世界はこれからどうなっていくのだろうという。
押井結局は、人としての出会いもネット上であったりとかね。恋人である彼女に連絡するのも携帯でやっているとか、お互いにメール交換してお互いに都合をあわせてとかね。それ以外のことも、もしかしたら一緒に死のうとかね、というふうなこともネットを通じないと共有できないとかね。
いずれにせよ、そういう欲望でつながった状態というのですか、結線された状態というのは、もう脳は既にそうなっていると思いますね。特に都市部においては。自分の体ってそこでは常に一部でしかないというかね。ネットで繋がった一つの巨大な体の一部としてしかないという。だから当然それは切り離したいという反動的な欲望というか、欲求は必ずあると思うのですよ。でもそのことよりむしろね、つながっていることの安心感のほうが取り敢えず今は大きいのではないかと。特に若い人にとっては。だから携帯を家に忘れてきただけでパニックになるのですね。人間の存在として果たしてそれでいいのかというね。脆弱すぎないかというようなことを言う一方で、逆にそこまで「進化したのだ」とも言えると思うのですよ。僕は嫌いだけれども。さっきみたいに仕事以外ではスタンド・アローンでいることを意図的に目指しているので。そのお蔭でさまざまな不利益も被っているけれども。人に会えないとか、しょっちゅう不義理をするとか。だけど、そういうもので両方の欲求に引き裂かれていくということは当然あると思います。でも最終的には、これは答えはもう出ているような気がする。答えは既に出ているような気がする。
立花どういうことですか。
押井だって、一度つながったラインというのは決して切り離せない。携帯を全部捨てろとか、テレビを全部壊して回るとか、そういうふうなことを実行できるはずもないし、誰もそれを望まないはずですよね。世の中崩壊しますよ。だって情報を共有するのといっしょに、体も同じ時間共有しちゃっているわけだから。それは親子兄弟とか夫婦はある程度解消できたとしても、社会的な絆は解消できるかと。できたとしてそれをやった瞬間、社会の中のいわば切り離された一部として排除されていくだろうと思うのですよ。それがわかっているからみんな携帯を放せない。
立花ただ僕は、今のネットワーク全体の質が、ある意味ではどんどん劣化しているというか、それはコンピュータウィルスみたいなことも大変だけれども、それ以上にインターネットの中でできていくいろいろな知的産物というかその世界が、こう駄目な方に向かっていくような側面がありますよね。
その中でまた別のほうでは、野放しに質がクオリティが低いものも高いものもめちゃくちゃにつなごうとするから駄目なんであって、個々の精選されたユニット同士の間だけでつなごうみたいな、それを二重構造か三重構造的につくろうという、そういう世界が今既に生まれつつありますよね。そういうことって人間の精神史の上ではつねに起きてきたことで、つまりある特定の本を読む人種というのはものすごい数が限られているわけですよね。かつては誰でも読んだような、時代時代の定番の古典的教養の本を、今でも読んでいる人というのは本当に少ないですね。でも、きちんと常に一定数がいるわけですね。その人たちがなんかのメディアを通じて喋り始めると、お互いにその世界をお互いに理解しあう、そういう知的な共同体みたいなものが一瞬にしてできるみたいなね。人間がやってきたことというのはそういう繰り返しなんじゃないかと思うんだけれども、そういう新しい共同体に参加するために、個々人がみんなその中で自分をグレードアップして違うレベルのネットワークにたどり着くみたいなね、そういう方向に新しいネットワークが進化していくみたいな、そういう一つの過程にいるのではないかという気もしますけれどもね。
押井ネットワークというのは、感じとしては一挙に実現した民主主義というか、自覚もないままに結果として破壊と混乱をもたらすという、フランス革命なのですよね。人間の実態が民主主義に追いついてないというのいっしょでつまり、今間の社会がネットワークという構造に追いついてないということで、そこでさまざまな根本的な問題があるわけですね。 ネット上で階層化していく。世の中は結局階層社会に戻っていくという。原則的な民主主義を否定してでも、階層化する世の中でないとネット上の混乱は収まらないかもしれないという。そういう予感はあるわけですよね。世界中にもあるし日本にもある。社会自体の階層化を肯定するのかというね。政治的な階層化は許されないけど、知的野階層化は許されるべきだとかそういう論理的な議論もあったとしてもですよ。 民主主義でやって、世界中が戦争になって滅んでもいいという覚悟なしには、民主主義というものは実現しえないのだと僕は思うのです。それと同じように、ネットにもリスクが伴っている。破壊と混乱を避けたいというのは無理で、ネットの理念と心中しなければならない。民主主義と言われても、多分これは一番まともなシステムであろうと言われてるものにすら、人間の実態は追いついてないのです。旧態復帰するのか、あるいはリスクの高い博打を続け階層社会を認めて、世の中に生かしていく人間を限定するべきなのか。さらに、限定するとしたら誰がそれを決めるのだという話になりますよね。 僕はだからネット上の混乱とか破壊的な側面というかは多分なくならいと思う。あらゆる線を切って回るのだとかそういう一種のテロリズムも、起きても不思議じゃないと思う。今のネットがおそろしく脆弱にできているということのほうが、むしろ遙かに問題だと思いますね。
立花全部切って回るんだというそのサイバーテロ的なものって、高度なウィルスをつくる奴はそれはやっているわけですね、意識しているかどうかは別として。
押井ネットを最大限効率よく切断するためには、ネット自体を利用するしかない。
立花そういうことですね。
押井当たり前ですよね。第一まだ切ってないわけで。
立花高次なネットワークをつくるとしても、一番下にベーシックなものとして、民主主義的な、無差別にだれでもつなげるというその構造はその構造として、多分ずっとそれなりに続いていって、でもそこに破壊的なウィルスみたいなのものが出てきて、現象として突然何かネット上の大惨事的なものがこれからも多分起きる、そういうことなんだろうと思いますよね。
押井そうですね。
立花いろんな意思をもった人間がいて、それぞれがこの世界をスタンド・アローン的に、あるいはネットワーク的に利用していく過程で、ある新しい未来というものがつくられていくみたいな、そういうのがこれから延々続く人類という種の歩みなんじゃないかという気がするんです。サイボーグ化というのも、そういう人類史に必然的に今入ってきつつあるみたいなね、そういう気がするのてすけれどもね。
押井そうなると思います。サイボーグ化というと突拍子もなく思えるかもしれないけれども、個人がコンピュータを所有するということと同じで、意外に僕はサイボーグというものが抵抗なく受け入れられるのではないかと思いますよ。多分僕が生きている間にそういう社会の片鱗ぐらいはね、もっと意外に早いかもしれない。コンピュータの普及よりは、遙かに容易だと思いますよ。

>>7義体

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