立花 | 押井さんは映画で、サイボーグではなくて「義体」という言葉を使っていますね。あの言葉はどこから出てきて、どういう含みが…。 |
押井 | 原作者の士郎さんのオリジナルなのかどうかはよくわからないけれども、義手、義足の延長線上と言って、まるごとの体ということで、「義体」というふうに呼んだのだと思いますね。 |
立花 | なるほど、それはまさにあの研究をやっている人たち、みんなが考えていることですね。 |
押井 | そうです。一挙的にロボットの中に自分の脳を持ち込むという考え方で考えるとね、非常に悪魔的なイメージになるかもしれない。徐々に徐々に体を置き換えていくことで、結果として自分の体が生まれ変わっていくようになると。結果的に僕らは、すべて義体の中に入り込んだ人間なのだと言えると思うのですよ。結論から言っちゃうと、僕らはもう既にサイボーグなんだという。 |
立花 | そういうことですね。よくおっしゃる、軍艦も飛行機も自動車もみんな義体なんだというのは、そういう意味ですよね。都市自体が義体だと。 |
押井 | そうです。都市にアクセスし続けることで暮らしているという意味で、人間はみんなサイボーグなんだという、捕らえ方をすれば、ほとんど変わらないと思いますよ。あとは物理的に冷たい体を手に入れるかどうかだけの話であって。おそらくそのときには体自体も、体感上は冷たくなっていないはずだ思うんです。映画に描かれる人形のような冷たい肌、そこにゴーストが宿るというのはあくまで一種のロマンティシズムなんであって、現実過程は、結局あんまり文学的でもなく、詩的でもない。そのときになっても今と変わらず、また温もりと匂いを獲得しているだろう。そのかわりそれはレディメイドなんであって。およそ散文的な過程が待っているだけであって。 だからかつての名作作家とか文学者だとか、そうした未来というのは、概ねみんなそういうロマンティシズムというのがあったと思うのですよね。ロボットに対する恐れとかマザーコンピュータに対する恐れというのは、今から考えればやっぱり非常に牧歌的なものだったと。意外に現実過程というのは散文的なもので、それこそ携帯の普及と同じようなレベルでサイボーグ化が普及したとしてもおかしくも何ともないと思う。むしろそうなることのほうの蓋然性が高いと思いますね。 |
立花 | さっきのワーウィックという人がチップを入れた話ですが、あの技術が今さらに進化しましてね、チップをもっと小さくしまして、それを簡易にひょいと腕に入れられるような技術が開発されて、オランダのロッテルダムのナイトクラブで会員証代わりにそれを利用しているんです。会員になった人は全員チップを腕に入れて、お店の注文やら清算やらすべてそれでやるんです。その店がものすごく流行ってね、あんまり流行るもので、今度スペインとニューヨークにも店を出すという。だから若い人にはこういう世界がどんどん入ってくるのではないかという気がしますね。 |
押井 | まあなんでもかんでも携帯ですませようと思っている日本のほうも、そっちを向いていますよね。自動販売機でジュースを買うのも、駅で電車に乗るのも銀行でお金を降ろすのも、全部携帯でできるという。それが腕に入っただけですよね。 |
立花 | そういうことですね。 |
押井 | それはやっぱり、便利や機能を集約化に対する欲望だけではなくて、若い人ほど肉体の改造ということに情熱をもっているものでしょう。 |
立花 | ああああ。 |
押井 | 昔の入れ墨にしても概ね若気の至りというわけですよね。若い人ほど肉体改造を積極的にやっていく。肉体改造というと言葉はきついかもしれないけれども、ファッションであったり、女の人のお化粧やヘアスタイル、アクセサリーだったり、あれはみんな一種の肉体改造ですよね。ピアスの穴を開けるということ自体がそうですよね。それはやっぱりオヤジはやらないわけですよ。 若い人ほど、自己イメージというのを過剰に考えるからだと思うのですよ。自分はかくありたいというね。女の人はかわいらしくありたいとか、美しくありたいとか、時代の先端的なセンスでやりたいとかね。それはファッションではお化粧のレベルと、タトゥを入れるとかチップを入れるとか、結局同じ肉体改造ですよね。若い人ほど自己イメージの確立ということに関して欲求が強いのは、何故かといえば自己イメージがないからだと思います。常に自分というものを嫌というほど承知してしまっているオヤジに関しては、多少の幻想の流れや未練はあるとしても、自己改造の欲求ってほとんどないわけですよね。せいぜい女の人が近づいたらお腹をひっこめようとかぐらいしかないわけだから。 ピアスをしている人間からすれば、表皮の下にチップを入れることぐらいで、何の痛痒も感じないだろう。そのことの利便性がその人を魅了したとすれば、さらにその先、必要であれば結線もしていくだろうというふうに思って。腕からさらに自分がPCにつながるとすれば、あるいは携帯につながるとすれば。既に端末を腕の中にもった状態になれば。そういうふうなことが、多分気がつかないレベルで進行するだろうと思いますね。 |
立花 | おそらくこれからは、端末そのものがどんどんどんどん小さくなって。 |
押井 | なりますね。 |
立花 | 本当に皮下に埋め込めるこれぐらいのものになる可能性って十分ありますよね。 |
押井 | 自分の肉体の中のいわば機械化率というのを、物量的計量的に測るのではなくて、機能の何割を変えたかという風に考える。オリジナルの体があと何%だという言い方は、機能の何%を端末に依存しないかという、そういった形で語られるべきなのであって。だから、映画やアニメーションでよくやっているような、機械におき換えた部分が即ち人間じゃない、ってことではないのですよね。視覚的にわかりやすいからそうするわけだけれども。 |
立花 | 今、埋め込みでなくても、例えば携帯にしても、耳にかけるのこんな小さい携帯がありますよね。あれを実際に日常的に使っている連中と、この番組をつくる過程でいっしょに仕事をしたんですが、なんか全く異なる世界が今現にこの世界に入り込みつつあるというのがわかりますよね。まだ埋め込んではいないけれども、あれ、本当に埋め込みにできるわけですからね。人工内耳の技術はその可能性を現実的に示しているといっていい。人工内耳の世界の延長上に埋め込み型携帯があらわれてくる。それは本当に半歩前というか、1歩もないですよね。 |
押井 | すべてのハードを体に埋め込むというのは合理的ではないですから、端末だけ埋め込んでおいて、あとは外装していく、要するにデバイスとして持つという。それだとバージョンアップも簡単に可能なんで。 |
立花 | ごくナチュナルに、この社会の延長上に、すべての人がそういう世界に今入りつつある、そういう時代だという。 |
押井 | 僕は片足どころか胸まで浸かっていると思いますけれどもね。 |
立花 | なるほど。 |
押井 | あとは端末化するかどうかだけであって。 |
立花 | いやこれね、しばらく前に東大の若い助教授クラスの人たちが集まって50年後の未来はどうなるか予測するみたいなことがあったんですけど、その中で脳神経系に関しては、50年まではいかない段階で始まるのは、脳内放送が始まるのだという、まずそういう段階があって、それから脳がインターネットを通じてコンピュータに全部つながる、つまり脳がネットワークを通じて外部世界全体と結線するみたいな、そういう世界がもう50年かからない前のところで実現するという予測になっています。 |
準備中