倫理の基本規則
立花 | 我々がしてはならないことを決めるときの規則はどんなものですか? |
グリーリー | 難しい質問ですが、私が考える最低限の規則は、相手の同意なしに行ってはならないということです。 同意なしに、嘘発見器にかけない、能力強化も試みない、その人に関する予言をしない、というのが基本的な規則です。 例外もあるでしょう。 テロ行為の容疑で逮捕された人物に対して、同意なしで嘘発見器を使うことは許されるかもしれません。 しかし、一般的な規則として私が支持しているのは、相手の同意なしに行ってはならないということです。 |
立花 | 他人に害が及ばず、自分の意思で決めたことであれば、許されるのではありませんか。 |
グリーリー | 精神的能力を備えた人が自分以外に影響を与えないと判断したものについて許可を与えるのはかまわないと思います。 しかし、社会に対して害があるもの、攻撃的であるものに関しては、社会が禁止する権利があると考えます。 そして、たとえ直接的に害を受ける人が本人以外にいなくても、その試みが社会にとってリスクが高すぎる場合、社会全体に対して攻撃性を持っている場合、社会はそれを適切な手段で、防止することができると思います。 とはいえ、この場合、十分慎重に、限定的に行う必要がある。 人に害を及ぼさなければ、個人がやりたいことを何でもやってよいという考え方を私は信じません。 社会が、限定して慎重に、規則を定めることができると考えます。 そして、いくつもの異なった社会で、それぞれ文化も違うので、ある文化における規則の下で許容されることが、別の文化では全く異なった解釈になるかもしれません。 60億人すべてにあうような規則は定められないと思います。 規則はそれぞれの文化の生産物だと思います。 数千年前、人類の先祖は農業を発明し、人類だけでなく他の生物の生命、そして地球に大きな変化をもたらしました。 わたしたちはメリットを最大限にし、デメリットを最小限にするよう慎重に努力しなければなりません。 新たな発明の方向性を正確に予測する力には限界があることを知った上で、謙虚に対処すべきです。 注意深く監視し、悪用があれば介入して阻止できる構えが必要なのです。 |
立花 | 日本も、あるいは他の諸国も、米国のように話し合いをはじめるべきだと? |
グリーリー | その通りです。 神経科学は、医学の世界で素晴らしい応用をもたらします。 この技術の恩恵を受ける国々は、そのコストとデメリットについて懸念すべきです。 日本、米国、そのほかの高度技術を持つ国々は、この技術の将来について考えはじめるべきです。 |
立花 | 全く同感です。 |
人類の再定義
立花 | 私は、神経科学技術の最前線を目の当たりにして、人間についての新しい定義が必要な時期に来ていると実感しました。 グリーリーーさんは、人間とは何だとお考えですか? |
グリーリー | それは、この技術に関する最も興味深い質問です。 視力の悪い人は眼鏡を着用します。 義足、義手の人もいますし、心臓、腎臓、肝臓の移植をした人もいますが、彼らは一人の人間であり、誰も二人の人間を合わせたとは考えません。 豚の心血管を移植した人もいますが、半分人間、半分豚ではありません。 彼らは人間です。 しかし、脳は人間存在の中心です。 脳を変えすぎたら、人類に属さなくなるのではないか、という懸念があります。 人間の定義は、難しい問題です。 さらに難解な問題は、人類を超えたものへと変えてしまうことが、果たしてよいことなのか、悪いことなのかです。 その答えは、私にはわかりません。 地球が誕生して45億年、人類の歴史は10万年です。 今から10万年後、人類はがらりと異なる様相を呈しているでしょう。 わたしたちは5万年前と比べてかなり異なる様相をしていることから考えても、人類の定義の一つは「変化する生物」です。 しかし、神経科学技術は、この変化をこれまでとはまるで異なるレベルで加速させるのではないでしょうか。 世界中の一人一人に、この難解な質問が投げかけられているのです。 |
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