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松枯れとセンチュウ(富樫教授)

富樫教授は、松枯れ議論の第一人者であり、センチュウの在来種と外来種の関係の研究もされている。

始まりは害虫!

害虫を駆除しようとすることから富樫教授の昆虫研究は始まった。もちろん害虫といっても、虫の数が異常に増えたから害虫なのであって、虫の数が減れば保全対象にもなりうる。というわけで、害虫の研究は、遺伝的多様性の保全の研究と表裏一体なのだ。
まずは、虫の生態を知ることから始めよう。それが、この研究の目的である。

松枯れとは…

松枯れは、小さな虫が森林に与える影響の中で一番の問題となっている。
もともと、マツ類の植林は明治以来行われてきたが、戦後に行われたマツ類の植林は、とんでもなく大規模なものであった。日中戦争から第二次世界大戦中に大量に森林が伐採されたためである。

しかし、これが大問題を引き起こした。

一種類の木しかないということは、その木に害を及ぼす虫が発生すれば、一気に駄目になってしまうように、ちょっとした環境変化にも弱くなるということだ。自然の体力はぐっと落ちた。
そして実際、茨城県や山梨県では一気に松が枯れてしまった。

原因はセンチュウ

松喰い虫という言葉を聞いたことがあるだろうか。これはいわゆる木喰い虫とかゾウムシとかのことをさし、これらの虫は松の木を食べて生きている。だから茨城や山梨で松が枯れてしまったときも、これらの虫が食い尽くしてしまったのだと当初は考えられていた。

しかしそうではないことが次第に分かってきた。

原因はカミキリが運ぶセンチュウにあったのだ。
その名も、マツノザイセンチュウ。

カミキリがセンチュウを運び、センチュウが松枯れを起こし、そこにカミキリが卵を産む。この結果、マツが枯れるほどカミキリとセンチュウが増加する。富樫教授は1つのマツ林でカミキリの生存率、成虫密度、枯れるマツの数などを4年にわたって調べ、その量的関係と枯れが林内で広がる過程を明らかにした。またそのような結果を用いてモデルを作り、枯れの広がる様子をシミュレートしている。

本物と偽者

枯れたマツの木の中に、マツノザイセンチュウと非常によく似たセンチュウが住んでいる。このセンチュウは日本に元からいたもので、ニセノマツノザイセンチュウと名づけられた。これはマツに害を及ぼさないこともわかっている。
ニセノマツノザイセンチュウは日本に元からいたと書いたが、ではマツノザイセンチュウはどこから来たのかというと、遺伝子解析により北米からやってきたものであることが分かった。近年、外来生物による樹木被害が特に悪化しているが、マツノザイセンチュウの場合も例外ではなかった。

マツノザイセンチュウの分布域が広がるのに伴い、ニセノマツノザイセンチュウの分布域は明らかに減っていったという。

ニセノマツノザイセンチュウが駆逐されたのは、「2種が同じ資源を同じように利用する場合、同じ場所では共存できない」という原則によって説明がつく。ちなみに、マツノザイセンチュウの分布域が順調に日本国内で拡大したのかというと、そうではない。戦争終了時に西日本や東海地方の海岸沿いにまで分布域を広げているが、その後の10年間は分布拡大を停止している。その後、北陸や東北地方へまた高地へとセンチュウは分布域を広げていった。

しかしここで一つの疑問が生じる。

日本産のニセノマツノザイセンチュウが駆逐されたのは、完全に、北米からのマツノザイセンチュウによるものなのか、という疑問だ。もしかすると交雑によってニセノマツノザイセンチュウの遺伝子がマツノザイセンチュウに入り込み、その結果、マツノザイセンチュウがより寒冷地に分布を広げることが可能になったのかもしれない。この可能性は非常に高い。

実験室では、ニセノマツノザイセンチュウとマツノザイセンチュウの雑種個体群を作ることができるという。今は、雑種個体群の形質の変化や遺伝子の動きを探ろうとしているところらしい。

最後に、マツノマダラカミキリを見せていただいた。実験室では、成虫は半年以上生きているそうで(野外での平均寿命1.5月)、やはり貫禄があった。松には害でも、私はその虫がなんとなく好きである。

写真 1:ヒゲナガカミキリ類 富樫教授の部屋で見つけた。アメリカに送られるそうだ。

写真2:問題の、マツノマダラカミキリ(左側面にくっついている。)

>>河川と森林(加賀谷助手)

文責:野村 直子

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