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教育に動いた転機

教師になるつもりはなかったのに教育におもいっきり動いてしまったのは、ある物理教育の研究会にでたのがきっかけでした。 本当は出るつもりなんてなかったんだけど、学芸大のマスターにいたもんですから、教育の案内もあって、ちょっと面白そうなので行ってみたんです。

そしたら東大の物性研の偉い先生が学習指導要領の作り方をお話してて、「いやぁ簡単なんですよ」って言っていたんですね。3ヶ月くらいあれば新しい学習指導要領作れる。前のをばらして、もう一回どこを残すかを議論する。それでいい、って。

ということは、教育研究に根ざした作り方じゃないってことですよね。 小中高の先生は、学習指導要領からちょっとでも逸脱したら怒られて、なかなか現場で抵抗するのが難しいのに、教育の根幹を作るような人が、あんまり教育に関心もってなかったというわけです。 その人は専門にしていた物理学の研究が一段落したので、今度は教育に貢献したいと、教育にこられた方なんですが。

それで、教育の専門家がいないと駄目だなと。その時なんか突然、僕が教育の専門家になって日本の教育を変えようと思い始めたんです。

それからもう一つ理由があります。 今同志社の教授をやっている左巻くんという人が、その当時たまたま同じ大学院にいたんですが、彼に科学教育の民間の研究会に誘われて、行ってみたんです。そしたらそれがすごく面白かった。教育を本当に熱心にやっている人たちがいたんです。僕は彼らにものすごく刺激を受けて、教育に生き方を変えようと思いました。

ドクターコースでの研究

ただ、日本の国を変えるために教育にいくんだから、先生になるだけじゃなかなか変えるのは大変だろう。ドクターコースである程度専門性を身につけてから教員をやって、教育の力量をつけてから、教育を変える仕事につこう。そう思って、ドクターコースを受けることにしました。 でも、全国に2つか3つしか理科教育の大学がなくて、実際にドクターに入るのはものすごく難しかったんです。たまたまICUにドクターコースがあるのを見つけたんですが、針の穴にねじこんで入るようなもんだってみんなに言われました。

でもなんとか入れてもらって、研究を始めました。僕は本はあまり読んでいなくて、いい授業をやっている人の授業をひたすら見せてもらって教育の研究をしました。

僕は、いわゆる教育研究をしている人が、あまり役にたつことをやっていないなと思っていたんです。学会とか教育の専門家があつまってる学芸大の授業で、本当に役に立つ教育が研究されてるのか、という疑問を持っていました。

一番思い出深いのは、心理学の授業です。教育の動機付けについての授業なんですけど、みんな寝てるんですよ。つまり、その先生は教育の動機付けの研究をしている専門家かもしれないけど、なにも本質をおさえていないということです。みんな寝てるのに、動機付けの授業で動機をつけられない、っていうのは、役にたたないですよ。 そういうのが教育の中でまかり通っている。そういう教育研究ではなくて、やっぱり現場のいい授業をやってる人から学んで、そのいい授業を理論化して、その理論をみんなで使えるようになったほうが、教育研究としてはいいんじゃないかと思ったんです。

そういう理由で、僕はいろんな先生に噂を聞いて、あの先生がいいって聞くと、その度に授業を見せてもらって、その先生が実施してる研究会にでて、そのあと一緒に食事をするというのを繰り返しました。その食事会でつまんないことを話しているような会ならだめなんですけれども、大体みんな夢中になって教育の話してるんですよ。 いい授業やってる先生が、どんな見通しを持ってるのか。どういう教育方針をもってるのか。どういう研究をしているのか。そういったことはなかなか聞きだせないので、食事会で聞き出した。それが一番勉強になりました。

仮説実験授業とか、中学校理科サークルとか、いいと言われていたのがみんな、いわゆる学会ではなくて、もっと民間のものでした。どこが違うか簡単にいえば、その当時の学会は、今もそうですけれども、文部科学省の指導要領をベースにやってる。で、民間の方は指導要領をある程度無視して、本当の教育とはなにかを求めてる。 学習指導要領をベースにしてやってると、大変ですよ。10年ごとにどんどん変わるんですから。今までいい研究してるなーっと思ったのが駄目になったり、研究の継続性がないんじゃないかというものがずっと続いたり。

やっぱり、学習指導要領をいったん離れて、腰をすえて教育にあたらないと駄目ですよ。 教育っていうのは、国の方針で動いたりしないものだと思うんですよね。 それで、民間のほうが、ちゃんとした研究をしてるんだなぁ、と思いました。

田辺先生

僕はとにかくいろんな先生の授業を見ました。特に小学校の先生と中学生の先生の研究会によく出ていました。

その中で、僕の一番の、教育の中身の、あるいは授業のやりかたの先生みたいな人で、田辺さんという人がいます。その人の授業をみると、先生はほとんどしゃべらない。授業が始まると、子供たちが前にでて挨拶をして、いきなり自分たちの発表が始まります。それが終わると、今度は先生が、授業の課題をしゃべって黒板に書く。先生がかなりしゃべるのはそこだけなんです。その後は、子供が課題について自分の意見をものすごく大量に書いて討論が始まるんですが、先生と目があったらいつのまにかその子がしゃべってるっていうふうに、次々に意見がでてくる。小学校5年生の授業で、高校生よりすごい意見がいっぱいでてくるんです。いい授業ですね。

でも、その先生の授業っていうのは、全部計画して作ってるんです。次に子供は何をしゃべるか、碁の先を読む。子供の頭の中を先に読んで、この問題を出したらこう考えて、こういう意見が出る、そうするとこっち側は、こういう意見を言うだろう、というのを全部頭の中にシミュレーションしてる。大体その通りの展開になるけど、違う展開になったら、自分の授業のどこが間違ってるかを考えるんですね。 はたから見てると先生は何もしていないように見えるんだけど、実はしっかりした準備をしている。実際の授業は、子供が本音でぶつかってくる、すごく激しい授業なんです。


教員をやりつつ書いた博士論文

僕はそういう授業を作りたいなと思って、高校の教員になりました。実際にそういう授業ができるようにしようと思ったんですけど、高校でそういう授業をやっている人はいなかった。僕がやりたい授業のサンプルは、小学校、中学校ではあったんですけど、高校のは全くなかったんです。それでどうしてもオリジナルでせざるをえなかった。自分でプログラムを毎年作り変えて、どんな発言したら、どう答えるか、それに一番あった実験は何なのか、毎時間毎時間ほとんど連日夜通しで準備しました。でも実際に授業をやるとうまくいかない。それでまたプログラムを作り直す、という作業を繰り返してました。こうやってオリジナルなものを作っているうちに、これはそのまま論文になるんじゃないかなと思ったんです。

生徒は僕が試行錯誤している間、ものすごく討論を楽しんで、テープ起こしもやってくれるようになった。それが博士論文につながっていきます。

それから、授業をするうちに、生徒たちと僕らの、ものすごく大きな認識の違いも分かってきた。例えば教科書に、質量が大きいものは加速しにくいっていう運動の法則がのってるんですが、生徒はそうは思ってない。 要するに、質量という概念が実は定着してない、というのがすごくよくわかる。

そういうのを生徒の議論の中から分析して論文にしようと思い、ICUの大学院の先生に、相談に行きました。「ドクター論文を書きたいんで、先生指導教官になってもらえませんか。僕は、実際の生徒の認識を分析したいんです。」 「君がくるちょっと前に別の人が、指導教官になってほしいというので来たんだけども、何をどんなテーマで論文かいたらドクターとれるか、って聞いてきたので断ったところだよ」、っていわれて。僕はテーマをもってたからよかったなあ、と思った。

その先生は、元東大の物性研の先生ですが、この先生にすごく厳しく指導されて、なんとか論文書きました。 83年から1年間で論文書き上げて、あんまり今でもそんな多くはないんですけど、教育学のドクターをとりました。教員になりながらとったというのも実際には少ない。僕の前のドクターのほとんどの人は、教育の歴史を研究して、あるいは海外の教育はどういうものかっていうのを調べてました。それは論文にしやすいんだと思うんですけど、本当に生徒の認識と格闘したのは、日本では僕が初めてかもわからない。 たぶん、指導してくれた先生は、論文としてはたいしたことなくても、がんばったというので出してくれたんでしょうね。


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