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節分・岡崎・記者会見 書いたひと:岩崎

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 野村さんと僕は立花先生に丸々12時間付き添いました。

 そのわけは、愛知県岡崎市にある研究所を訪問するためです。その研究所の名前は、自然科学研究機構の生理学研究所岡崎統合バイオサイエンスセンターです。

 柿木隆介教授と永山國昭教授にそれぞれお会いして、お話を聴いてきました。今年3月に開催される予定になっている、自然科学研究機構主催のシンポジウムの打ち合わせが、今回の訪問の主な目的です。

 そのまえに、有楽町の外国人特派員クラブ(FCCJ)で立花さんの記者会見があるということなので、見学させてもらうことになりました。有名人や話題の人が、よく記者会見をしている、あの会場で行われました。

 記者会見は12時半から始まりました。

 講演のタイトルは、「Politics and the BLT “Beef, Livedoor & Taishin Gizo Mondai”」でした。欧米人にもわかりやすい、なかなか洒落たタイトルだなと思いました。

 立花さんは講演の冒頭で、“I do speak English a little.”と断ってから、日本語で話しはじめました。そして、立花さんが話したことを隣の通訳の人が英語に翻訳して話すという次第でした。

 通訳の方の機転のよさや、内容の正確さに感心させられました。

 立花さんのお話は、小泉首相をはじめとする政治家や有識者、財界人の批判など、非常に多岐にわたるものでした。

 改めて、先生の思慮深さや時代を読み解く力を思い知らされました。

 そういえば、今年の2月4日がロッキード事件発覚の30年目になると話していました。僕は存じ上げていませんが、立花さんが相当にご尽力された事件です。

 立花先生が日経BPのサイトで連載している、「立花隆のメディアソシオ‐ポリティックス」で、この日の講演のことに触れて書かれているので、科学とは関係ありませんが、興味がある方は読んでみてください。

> > 第66回 小泉政権揺さぶるBLT問題 防衛庁・ライブドア・天皇制
> > 第67回 朝日・読売の論説トップが批判 小泉靖国外交の危険な中身

 14時過ぎに講演が終わると、そのまま東京駅に行きました。

 15時の新幹線に乗り込み、岡崎へ向かいました。

 新幹線の車内で、立花先生が乗客の方からサインを求められていました。さすが有名人だな、と思いました。

 豊橋で名鉄に乗り換え、東岡崎駅で降りました。

 改札を出てすぐのところで、柿木先生が出迎えてくださいました。柿木先生の車で生理学研究所に到着したときには、すでに18時を過ぎていました。

 ※今回は、取材可能時間が短く、立花先生が主体的に取材をするということで、僕たちゼミ生二人は補佐役に終始しました。

 柿木教授は、とても気さくな人柄の方で、神経内科のお医者さんでもあるそうです。脳磁図やfMRIを用いて、非侵襲的な脳機能測定の研究をしていらっしゃいます。

 TVの取材を何回か受けたことがあるそうで、どれが一般の人にうけてもらえるのか、ということをご自身でも理解されておられました。

 そのあと柿木先生に、統合バイオサイエンスセンターまで送っていただきました。

 そこで、永山先生にお会いしました。永山教授は、もともと専門が物理だそうで、物理屋の気概がありありとしていました。非常に情熱的にお話をされる方で、話される事柄も示唆に富んでいました。

 永山先生は主に電子顕微鏡の技術開発を研究しておられ、なかでも位相差電子顕微鏡という、大変画期的なものを開発されています。

 これによって、従来の方法では見ることのできなかった、細胞や生体高分子の微細構造をみることが可能になるそうです。

 実際に電子顕微鏡写真も見せていただきました。

 21時過ぎまで永山先生の部屋にお邪魔しました。

 そして、東岡崎駅から名鉄名古屋に行き、名古屋から22時ののぞみに乗って帰りました。

 自宅に着いたのは翌1時でした。

 今日お話をうかがった先生はお二人とも、間違いなく超一流の研究者だろうと思います。自分たちの研究のどういうところが他の研究室の追随を許さなくしているか、ということを非常に適確に教えてくださいました。

 また、大学とはある程度独立した研究所に行く機会を持てたことは、貴重だったと思います。

 それはそうと、僕が何より収穫だと感じているのは、わずか一日のうちに、政治ジャーナリストとしての立花隆と、科学ジャーナリストとしての立花隆を垣間見ることができた、ということです。

 そのあたりの切り替えを、一体いつのまにしてしまったのか、すごく気になります。(終)



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