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6 ミステリー・同期

司会それでは対談を再開いたします。お二方、よろしくお願いします。
瀬名さきほどはゴーストの話で終わりましたね。
櫻井そうですね。先ほど探しあぐねていた廣松渉の本ですけれど、少しだけ読みます。「遠隔的にあやつられる身体的自己とそれをあやつる能知能動体との二重的存在の意識が既成のものとなり、他者をもそのような存在として了解する事態が生じたとすればその段階では、第三者的に記述する立場から、他人が能知能動的主体として覚知されるに至っている、と呼ぶことが一応は許されうるであろう」と。
瀬名うーん、よくわからない(笑)。
櫻井(笑)これ、攻殻機動隊にひきつけて考えると、人形使いのことだと思うんです。遠隔的に操られる他者である人形を、本当に意のままに操れるような事態が生じたときには、第三者的に記述する立場から見れば、その他者(人形)も主体的に認識されるに至っているのではないかという話ですね。先ほど裏でちょっと話していたんですけれど、人形使いというのはそこまで……あ、攻殻機動隊の最初の映画「GHOST IN THE SHELL」をご覧になった方は、どのくらいいらっしゃいますか。
瀬名(あがった手を見て)3割、4割くらいですかね。
櫻井じゃあこれもネタをバラしてしまいます。どういう話かというと、2030年という未来で人はみんな電脳を持っていて、そういう人間を自在にあやつることができる「人形使い」というハッカーがいる。ハッキングされた人間達は、自分では意識がないのに色々な罪を犯してしまうと。そのスーパーハッカーを公安が追いかけるんだけど、オチもばらしてしまうと、見つけてみたら人間ですらなかったわけです。プログラムだった。ところが、自分のことを生命体だと言い張って、物理的な身体、義体の中に入り込んで、日本に亡命することを希望し始める。そこで少しチューリング・テストとつながるんですが、これは明白にプログラムであるということがいえるわけですね、公安6課というところが作ったので。「オマエうちのプログラムじゃねぇか」と言うと「いや、生命ですから。前はプログラムだったかもしれないけれど、今は自我があるんです」と主張するんです。「それを否定できるだけの根拠が人間側にはないだろう」と。
瀬名ロボットがいて、それがある日突然「私には自我が芽生えましたから、ちゃんと(人権ならぬ)ロボット権を認めてください」と言い始めたら人間はどうするのか、彼らの自我の有無をどうやって判断するのかということですね。
櫻井我々にすら自我があるという確証はない。というか、僕らはあると思い込んでいる、相手にもあると思い込んでいるものだけれど、誰にも見えるものではないから、そこはなんとも言えないんじゃないかということですね。
瀬名人形使いの「使い」というところがまたおもしろいですよね。自我なんだけれど、その自我は、あるロボットにのりこんでいって、それで喋っているということになるわけですよね。じゃあそのロボットの身体が彼(か彼女かわかりませんけど)の自我なのか、ネット上にいる確定しない何かがあって、その中から切り出されてきたものが自我なのか。
櫻井人形使いに人形を使ってるという意識があるのか、ということだと思うんですよね。僕は「僕が僕の右手にコップを取れと命令した」とは思わない。そのレベルにおいては、物理的身体も、人形をあやつるのも同じだと思います。
瀬名「あやつり」というテーマは、ミステリーの世界でも非常に重要なテーマです。あと、どの部分まで自分であると認識するのか、道具はどこまで人間の身体になるのかという話もよくあります。エラリー・クイーンという作家がいて、彼は人生の後半で、そういった「あやつり」というテーマをずっと書いていたんですよね。名探偵が色々な手がかりを見つけて犯人を探し出すんですけど、最終的にはどんでん返しがあって、実はその手がかりは裏から全部真犯人が与えてあやつっていたというわけなんです。名探偵を間違った犯人像に行き着かせておいて、自分は安全圏にいる。黒幕自身は罪を犯していないし、犯人もあやつっているし、名探偵もあやつっているわけですよね。そうするとその黒幕にはなにか罪があるのか。そういう黒幕に対して、名探偵はなにか裁きを下せるのかという。あやつるものとあやつられるものとの関係ということですね。先ほどの身体の話なんですけれど、これはあんまり話したことがないんですけど、「デカルトの密室」はこの図のような構造になっているんです。法月綸太郎さんというミステリー作家の方が、やはりエラリー・クイーンに心酔している方でして、彼が後期のクイーンの作風に関して図式化したものなんですが、実はこの図式がロボット開発の現場にすごく似ている。
つまり、(図の)下の三角形があって、これはミステリー小説のフォーマットなわけですよ。犯人がいて探偵がいて死体がある。それで、(図の)横線が示すように、もう一段階上の階層というものがあって、実はその犯人やトリックを作っているのは作者なんです。探偵の役割で物語を読んでいくのが読者です。探偵は死体がどうなっているかなどを見ながら犯人の意図を探っていくわけですけど、実際の読者はその上のレベルで、作者が作ったものを考えながら読んでいく。これがロボット開発にすごくよく似ている。まず、作者をロボット開発者とする。次に探偵というものをロボットとします。さらに、死体を環境、まあ身の回りのものだとする。そうした時に、多くの研究者たちは箱庭を作って、その中でロボットに学習させて、たとえば迷路なんかを行かせて「よく迷路を学習しましたね。すばやく解けるようになりましたね。」などといったことをやるんですけれど、実はそれは作者である開発者が先回りしてつくったトリックをロボットが解いているに過ぎない。ロボットがあの図でいう探偵でしかないということなんです。
「作者=黒幕」だと思ってくれればいいんですけど、その黒幕がいろいろな手がかりを探偵に与えるんですよね。だけど探偵はそういったレベルでしか事件を認識できないから、本当にこれが事件を解く手がかりになるのかわからないわけですね。もっと別の手がかりがあるかもしれない。全然違う犯人像を与える手がかりがあるかもしれない。でも探偵は、下のレベルにいるから実際のところはわからない。上の人が与えた手がかりを使って、いかにして環境の中で謎を解くか、というような低レベルの話しか探偵はできないんだ、ということを、法月綸太郎さんの論考をもとに、作家の笠井潔さんらが「後期クイーン問題」と言ったわけです。だから実は、このロボットが箱庭で色々なものをやっているのも、ロボット研究者の与えた手がかりを単に見つけ出して謎を解いているだけということなんです。このように、実は「デカルトの密室」の「ぼく」というのが二つあるというのは、探偵役のロボットが「ぼく」といい、作者役の祐輔が「ぼく」といい、両方が「ぼく」と言い合って、お互いのフリをしているってことで、図の構造を壊す、後期クイーン問題を解くというのが裏テーマなんですけど、こういうことをわかった人はあまりいないと思います。
櫻井なるほど。
瀬名「何処までが自分の身体性であるとわかるのか、何処までが主体であるとわかるのか」という話に戻します。人形使いが何かをあやつるときに、さっき言った上位構造と下位構造みたいなものがあるかもしれないけれど、もうひとつ、「デカルトの密室」でも書いたことで、人形使いというのは私たちが一つしか持っていない意識とはまた違った意識を持っていて、延長としての体の中にはその違う意識が入っているということもありうるのかなと思うんです。つまり、だんだんネット上の意識がシンクロナイズしたりシンクロナイズしなかったりといううねりの中で別の意識を持っていくというようなことをやっているんです。そういうことを考えると、人形使いのあり方というのも変わってくるのかなと思いますね。
櫻井そうですね、「デカルトの密室」の中でフランシーヌがコンピュータのネットワークの中に解放されて、微妙な同期、シンクロナイズを繰り返しながら違うものになりつつある、というような描写があって、まったく想像はできないんだけれど、おもしろかったですね。
瀬名いや、僕も想像できないんですけれどね。
櫻井(笑)そうなんですか。その同期という概念がすごくおもしろかったです。
瀬名あれはね、スティーヴン・ストロガッツが書いた「SYNC」という本があって、六人の人を介すると人間は誰とでも友達になれるということをスタンレー・ミルグラムが仮説で出したんですが、それを実際に検証したダンカン・ワッツのお師匠さんですね。そのストロガッツが、そういうシンクロナイズするものが様々な自然現象の中にあるという話をしていて、そこからヒントを得ました。
櫻井「デカルトの密室」の中でもそれと関係することを例に出されていましたね。南のほうの国に蛍がいっぱいいて、クリスマスツリーのように同時に点滅するという。
瀬名実際に見たことがあるんですよ、ああいうの。
櫻井僕は動物番組みたいのでは見たことありますけど、生で見たことはないですね。
瀬名子供の頃に実はアメリカに行っていたことがありまして。夏に、木に蛍がたくさんとまっているんですよ。それが、だんだん同期するんです。実際のクリスマスツリーも、時々同期するときがありますよね。なんかあれに非常に近いなと思いながら、子供のときに見ていた経験があります。
櫻井先ほども裏で少し話したんですが、単細胞生物が多細胞生物になっていく過程や、あとはその中間形態の群体みたいなもの、たとえば猛毒を持っているカツオノエボシというクラゲがいますよね。あれはクダクラゲというクラゲの一種で、その特徴でもあるんですけど、群体なんですね。だから、触手一本が一匹のクラゲで、他の触手はまた別のクラゲ、浮き袋で一匹のクラゲ、口で一匹のクラゲなんです。それぞれに口があるという状態をなしている群体なんですけれど、そういうときにクラゲに意識があるかどうかってのは、微妙なところで、彼らはどういうつもりなんだろうかと思います。
瀬名全体としてどういうつもりなんだというのもあるし、それぞれがどういうつもりなのかというのもありますよね。
櫻井そういうことです。全体としての意識もあるはずだという。
瀬名でもそれぞれに口があるわけでしょ。
櫻井そうです。
瀬名それぞれは自給自足でやっているんですか?
櫻井おそらく、食べるときには象みたいに鼻でとって食べるわけではなくて、群れているときにそれぞれ勝手に食べているんではないでしょうか。
瀬名なるほど。
櫻井それぞれのクラゲが頑張って、皮膚呼吸のように勝手に餌を処理してるというような状況ではあるんだけれども、なんとなく皆でいたほうが、餌を獲りやすいということなんだと思うんですよ。
瀬名皆でいたほうが餌をとりやすいというのより、もっと小さなレベルでも、そういうシンクロナイズみたいなものが起こっているかもしれないんですね。
櫻井そうですね。蛍の場合は完全に別の個体なんですけれど、クラゲのように群体レベルになってくるとまた違う、細胞レベルでの同期の反応というのが、きっとあるはずだと思うんですよ。あんまり詳しくないんですけど。
瀬名僕も「パラサイト・イヴ」という本を書く際に、そういったことを調べました。そのつながりで言うと、櫻井さんの手がけた「お伽草子」という作品の最終話の中で、都市の話なんかも出てくるので、近いところもあるのかな、という感じはします。
櫻井そうですね。まず瀬名さんの「パラサイト・イヴ」の話をすると、ミトコンドリアというものが核DNAとは違ったDNAを持っていて、そもそも生物としては別の生物だという話ですよね。
瀬名一個の細胞の中にもミトコンドリアは2〜3000個あると言われていて、くっついたり離れたりしながら、それぞれがそれぞれのエネルギーを生産しているんです。それで、一個のミトコンドリアの中にも、ミトコンドリアDNAが数個入っている。そのすべてが同じ遺伝子情報を持っているわけじゃないらしい。ミトコンドリアの遺伝子は、どこかでおかしくなったり改善されたりすると、それは少しずつ蓄積されていって、例えば新しく二つに分裂するときに、その片方に遺伝子のおかしくなった方が入って、もう片方に改善された方が入ったりとか、だんだんそうして分裂していくごとに、実は少しずつ個性が出てくる可能性もあるということなんです。不思議な群生ですよね。
櫻井自分のこの身体の構成を超えたレベルでの主体、たとえばゴーストみたいなものは、群生と似ていると思うんです。物理的な身体というものが、僕らの考えている能動的な主体っていうものと、過不足なく一致している時代が終わってしまったときに、そこでどんな自己が想定できるかということで。身体というものをベースにしないような、情報の帰属場所、いわゆる思考の中心というようなものを想定したときに、それがゴーストではないか、というようなことだと思うんですね。そういうものがまた個体を外れて、そのずれ方がミクロなほうにいくとミトコンドリアで、マクロなほうにいくと、外接的な、地球レベルで何らかの意思的なものが宿っているとするガイア論なんかに繋がっていく…。「お伽草子」の最終話は「都市」というレベルでそういうことが想定できないか、というような話なんです。

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