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長山先生の講演内容

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長山 好夫
核融合科学研究所教授

第2章 1億度のプラズマをどのように閉じ込めるのか?

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2.1 核融合をおこすにはどうすればよいか?

 高速で動き回る原子核をたくさん容器の中に入れておけば、たまに衝突して核融合反応がおきる。最も反応しやすいD-T炉でも、空気の十万分の1の密度の重水素と三重水素ガスを1億度に加熱し、しばらく閉じ込めなければならない。一般に、ガスを高温に加熱すると、電子が活発に運動するので原子から離れて、電離する。電子を失った原子は正電荷を持ち、イオンとなる。電子とイオンの混合気体を電離気体というが、ふつうプラズマとよばれている。1億度のガスはプラズマである。

2.2 プラズマとはどういうものか?

 よく、「物体の温度を上げていくと、固体、液体、気体、そしてプラズマとなる、プラズマは第4の物性である」、と言う。だからプラズマは、普通の生活には関係ないように思うかもしれないが、意外と身近な存在である。

 たとえば、ガスの炎はわずかに電離をしているので、プラズマといえる。蛍光灯のなかでは水銀のガスに電気を流すために電離して水銀のプラズマをつくる。水銀プラズマは紫外線を発生し、ガラス壁に塗布した蛍光物質を光らせる。

 また、プラズマは電気を良く通す。1千万度のプラズマは銅と同じ導電率を持つ。温度を上げるとさらに良く電気を通し、導電率は温度の1.5乗に比例する。蛍光灯のプラズマは2−3万度なので、銅より1万倍電気が流れにくい。

2.3 1億度のプラズマをどのように閉じ込めるのか?

 プラズマをガラスびんの中に入れても閉じ込めたことにはならない。電子やイオンがすぐにガラスびんに衝突し壁に捕まってしまうからである。プラズマを「閉じ込める」ということは、真空の中で、プラズマの成分である電子とイオンを壁から離して保持することである。

 プラズマ閉じ込めのためには、図2に示すように電子やイオンが磁力線のまわりを回転する性質を用いる。円形加速器の名前をとって、この回転運動をサイクロトロン運動、回転周波数をサイクロトロン周波数と呼ぶこともある。回転半径は粒子の重さや速度に比例し磁場に反比例する。核融合プラズマの場合、水素イオンの回転半径は数mm、電子はその1/40程度である。磁力線をビーズ糸に例えれば、イオンは大きなビーズ玉、電子は小さなビーズ玉であり、それらはビーズ糸上をすべるように運動していると思うと、イメージがつかめるかもしれない。そこで図2のように磁力線を1周させればプラズマを閉じ込められそうである。次に述べるようにもうひとひねり必要ではあるが、閉じた磁力線が基本なので、プラズマ閉じ込めシステムはリング状である。


図2 単純トーラス磁場中でのイオンと電子の振る舞い。

2.4 プラズマ閉じ込めの原理

 ここで、核融合研究の歴史を利用して、プラズマ閉じ込めの原理を説明しよう[2, 3]。

 この問題を最初に考察したのはアメリカ・ニュージャージー州・プリンストン大学天文学教室のライマン・スピッツァ(Lyman Spitzer, Jr.)教授である。1951年3月24日アルゼンチンのペロン大統領が核融合の成功を発表し、それを聞いたスピッツァの父親が休暇のためコロラド州行きの飛行機を待つスピッツァ教授に電話で知らせたのである。スピッツァは電子やイオンの立場で思考できるとの伝説の持ち主である。コロラド州アスペンスキー場のリフトに乗りながらプラズマ閉じ込め問題を考えたスピッツァは、磁力線を単純に1周しただけでは電子とイオンは上下に逃げてしまうことに気がついた。

 これを図2によって説明する。閉じた磁力線を作るには中心軸に電流を流す。中心軸に近い方(内側)では磁場が強く、中心軸から遠い方では磁場が弱い。電子の回転半径は内側では小さく、外側では大きい。図の磁力線方向では電子は上の方に逃げていく。イオンは電子と反対の電荷を持つため電子と反対の方向に回転するので、下の方に逃げていく。こうして上下に荷電分離する。これでは電子もイオンも閉じ込められない。

 そこでスピッツァはプラズマをねじることを考えた。上の磁力線がトーラスを周回するうちに下に来れば、電子とイオンが磁力線上を運動するので荷電分離を中和する。

 プリンストンに戻ったスピッツァ教授は早速提案書をまとめて政府に提出した。政府はこれを認可し、キャンパスから離れたプリンストン大学の飛行場脇のウサギ小屋で極秘のマッターホルン計画としてアメリカの核融合研究が始まったのである。スピッツァは彼の装置をステレラレータと名付けた。最初のステラレータはプラズマを8の字にねじったものであり、磁場中にプラズマを閉じ込められることを立証した。

 その後、周りにヘリカルコイルを設けてプラズマをねじることを考え、B型、C型とステラレータは成長した。ウサギ小屋はプリンストン大学プラズマ物理研究所へと成長し、世界の核融合研究の1大拠点となった。しかし、1千万度を目指して高周波加熱装置を装備した期待のC型ステラレータは放射障壁百万度を越えることはなかった。

 第二次世界大戦後、先進各国は原子爆弾や原子力発電、さらには水爆の成功に味をしめ、究極のエネルギー源として極秘に核融合炉の研究を始めた。当時はアルゼンチンも豊かな先進民主主義国家であったのである。しかし、プラズマ閉じ込めに失敗した各国は、核融合研究をオープンにした。当時の冷戦下でさえ、核融合研究は国際協力で行われていく。いかに核融合研究は絶望的困難さに直面しながらも、希望を失わずに、学術研究として再出発したか理解できる。

 核兵器の査察で有名な国際原子力機関(IAEA)は、1961年から核融合の国際会議を主催するようになった。当時、英国ではトーラスプラズマにトロイダル電流を流してプラズマを加熱するZETAという研究を行っていた。本家英国では失敗するのだが、それを真似したソ連・モスクワのクルチャトフ研究所ではレフ・アルツィモビッチ(Lev Artsimovich)率いる研究チームが独自の改良を重ね、トカマクと名付けた独自の閉じ込めシステムを完成させた。彼らはトロイダル電流に強力なトロイダル磁場を加えることでプラズマを安定化したのである。スピッツァ的センスで言えば、プラズマ電流が磁力線をねじるのである。

 1968年のIAEA主催の核融合国際会議で、ソ連はトカマク3号機(T-3)で1千万度のプラズマを閉じ込めたと発表した。しかし計測器があまりに信用できない。英国・オクスフォード州のカラム研究所は、ニコル・ピーコック(Nicol Peacock)が発明した最新のレーザー散乱計測装置をソ連に持ち込み、確かに1千万度であることを確認した。そこで世界的にトカマクブームが起こった。プリンストン大学でもC型ステレラレータをウォルフガング・ストディエク(Wolfgang Stodiek)を中心としてわずか3ヶ月で、トカマクに改造した。

2.5 高温プラズマは磁気面で閉じ込める

 トカマクではなぜプラズマ閉じ込めに成功したのだろうか?


図3 トカマクの原理。Btはトロイダル方向の磁場成分、Bpはポロイダル方向の磁場成分。Rは大半径、rは小半径、θはポロイダル角、φはトロイダル角。

 図3を用いてトカマクの原理を説明するが、そのまえに専門用語を説明する。丸くきれいに焼いたドーナツを皿の上に置いて縦に切って見よう。ドーナツの断面は小さな円である。この円の半径を小半径と呼び、とくにドーナツの皮の半径を副半径という。一方、ドーナツを皿に平行に、すなわち水平に切ってみよう。ドーナツの中心軸付近はからっぽで、外側に2つの円に挟まれたドーナツの中身がある。ドーナツの大きな円の半径を大半径、とくにドーナツ中心の大半径を主半径と呼ぶ。大きな円に沿った方向をトロイダル方向とよび、小さな円に沿った方向をポロイダル方向と呼ぶ。なお、数学用語でドーナッツ状のシステムをトーラスと呼ぶので、以後トーラスということにする。

 中心軸に電流を流すとトロイダル磁場ができる。そこでプラズマ中にトロイダル方向に電流を流す。するとトロイダル電流のまわりにポロイダル磁場ができる。そのため、磁力線がねじれる。これがトカマクである。トカマク(TOKAMAK)とは電流を意味するロシア語の最初のシラブル、TOKと磁場を意味するロシア語の最初のシラブル、MAKをつないで作った名称であり、トカマクの本質を良く表している。

 図4に計算した磁力線の一部を示す。トロイダル磁場とポロイダル磁場によってねじれながらトーラスを周回する一本の磁力線は一枚の磁気面を作る。各々の磁力線は交差しないので、無数の磁気面は層状に重なる。トカマクでは図3に示すように磁気面がタマネギの皮のように同心円状になっている。例えて言えば、磁力線がビーズ糸であり、イオンと電子は大小のビーズ玉となって、糸上を光速度の数分の一の速度で滑り回る。だからイオンと電子は各々の磁気面から離れることはできない。このようにしてトカマクは高温プラズマを閉じ込めることに成功した。


図4 トカマクの磁力線の例。(http://energy.coe21.kyoto-u.ac.jp/task-solar/sub-plasma/02.htmlより転載)

2.6 核融合研究の発展

 大成功をおさめたトカマクに核融合研究者は飛びついた。世界中に200基ものトカマクが建設されたという。1970年代後半、技術に優れたアメリカでは中性粒子ビーム入射装置(NBI)を開発して、トカマクプラズマの加熱を始めた。(NBIとは粒子加速器のことである。ただしイオンを入射しても磁場で曲がってしまうため、イオンを加速直後にガスセルを通して中性化する。それで中性粒子入射という。)しかし、加熱パワーを2倍にしてもプラズマ温度は3割上がるだけ、加熱パワーを4倍にしてようやく温度が2倍になる。1億度にするにはとんでもない加熱パワーが必要とわかり、核融合は再び挫折した。この現象を「Lモード」と呼ぶ。

 しかし、1982年、ドイツ・マックスプランク物理研究所のASDEXトカマクでフリードリッヒ・ワグナー(Friedrich Wagner)がLモードより2倍閉じ込めがよい「Hモード」を発見した。さらに、1986年プリンストン大学では大型トカマクTFTRにおいて、ジム・ストラッカン(Jim Strachan)が、壁をプラズマで洗浄することで「スーパーショット」と呼ばれる4億度ものプラズマ生成に成功した。さらに、プラズマ内部磁場計測装置MSEを発明したフレッド・レビントン(Fred Levinton)は、1995年、MSEをセンサーとしてTFTRプラズマの内部磁場制御を行い、内部輸送障壁(ITB)の生成に成功した。これはプラズマ閉じ込め性能をHモードよりさらに2倍以上向上させる画期的なものである。

 これらの「Hモード」、「スーパーショット」、「ITB」は一括して「改善閉じ込め」と呼ばれている。核融合科学研究所の伊藤公孝・早苗夫妻は「改善閉じ込め」はプラズマが内部で電場を作り、それがプラズマ流を作るためだと理論的に説明した。磁気面に沿ったプラズマ流は互いに逆向きとなり、Lモードの原因である乱流を引きちぎる。それで輸送障壁ができる。互いに逆向きの流れは木星や土星の縞模様によく似た現象であるため、「帯状流」または「ソーナル・フロー」と呼ばれ、核融合プラズマ物理の最先端課題の一つである。

 さて、英国オクスフォード州カラム研究所の敷地内に建設されたヨーロッパ共同トカマクJETや茨城県那珂町に建設された日本原子力研究所(現在の日本原子力機構)の大型トカマクJT-60でもスーパーショットの追試を行い、次々と5億度プラズマ生成に成功した。また、ITBの追試にも成功し、JT-60やJETでは、全核融合出力が加熱入力を越える「ブレークイーブン」に到達した。ブレークイーブンは、核融合プラズマ閉じ込めの証明として、JT-60などの大型トカマク計画の大目標であった。

 しかし、熱損失はまだ大きいので核融合反応を持続するためには、JETより2倍以上大きなトカマクを建設する必要がある。しかし大型トカマクの建設費が2千億円であったことを考えると、次世代トカマク建設費は一国の科学研究費でまかなえるレベルを遙かに超えている。

 1985年11月、レーガン・アメリカ合衆国大統領とゴルバチョフ・ソ連共産党書記長との米ソ首脳会談において、次世代の超大型トカマク計画の国際協力が米ソの融和の象徴として取り上げられた。さらにヨーロッパと日本が参加して国際熱核融合炉(ITER)とよばれる具体的計画となり、1988 年から設計活動が開始された。その後、ソ連の崩壊、米国の離脱、中韓両国の参加、米国の再参加、そして日仏の激しい建設地誘致合戦など、紆余曲折の末、フランス・カダラッシュの原子炉脇の敷地にITERを建設することが2005年6月28日に決定した。ITERでは核融合出力が外部加熱入力の10倍が公式目標とされている。それでも核融合反応によるプラズマ加熱出力が外部加熱入力の2倍であり、ITERの目的である核融合反応プラズマの物理学的研究は十分可能である。


図5 核融合プラズマ閉じ込め研究の進歩。

 このような核融合プラズマ閉じ込めの進歩を図5に示す。半世紀以上の研究の末、現在ようやく、核融合プラズマの閉じ込めのメドが立ったところである。



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